続・ルーティン

 日々の生活にルーティンを組み込んだ話は以前したがそこから一年半経ってその生活に飽きるどころか更にルーティンが増え、今や一日の行動がほぼルーティンによって成り立っている。余暇の過ごし方までルーティン化したため常にやることが決まっていて、時間になったらそれをやるだけの生活…高校時代、かのイマヌエル・カントが一日の生活を時間で区切って行動していたというのを聞いたときわりとゾッとした記憶があるがまさか自分がそんな風になるとは思いもよらなかったな。

 朝帰宅、飯を食い風呂に入る。風呂ではあるレコ屋の在庫リストを全てぶち込んだプレイリストを少しずつ聴き進める(寝落ちする)。歯を磨いて寝る。
 昼起きる。飯を食い発声練習をする。白湯を飲み一息つく。買っといて聴いてないアルバムを一枚聴く。12インチシングルかEPなら三枚聴く。聴いたものがフィジカル盤なら写真を撮って軽い感想を書いてインスタに投稿。歯を磨いて寝る。
 夜起きる。飯を食い顔を洗いトイレを済ませてから出勤。仕事内容も曜日によってほぼルーティン化している。

 休日1日目は昼に起きるところまで同じでそこから髭を剃り顔を剃り、月イチで眉や鼻毛も剃り、晴れていれば日焼け止めを塗ってからゲーセンへ行く。解禁要素の貯まり具合にもよるが大体ダンスラ、ドラム、ポップンを合計8、9プレーして集中力が切れ帰宅。汗をかいていればシャワーを浴びる。顔はミルククレンジングのみしてから保湿して寝る。
 2時ごろに目が覚める。飯を食い風呂に入って歯を磨いて再び寝る。2日目は10時の開店に合わせてゲーセンへ。基本的には一通りの解禁が済むまでやる。前日と同じく汗をかいていればシャワーを浴びる。顔はジェルクレンジングのみしてから保湿。体力があれば貯まってる音源を聴き進めたり新譜をチェックしたりしてから寝るが大体その頃には何も残っていない。

 もっと細かく言えばそれぞれの行動にも細かい手順があるけど省略。一つ一つのルーティンを積み上げていくことは実際かなりのエネルギーが必要で、元気だから続けられるというのは大前提としてある。しかし気分的には目の前に小さい達成項目を設けないと何も出来ない無気力状態が根底にある感じもする。

 ルーティン化生活の良いところはタスクとして溜まっていくものではないので、たまにイレギュラーがあったり体調を崩したりしてすっぽかすようなことがあっても後でその分を回収しなくてよいことだ。復調した時点で"本来ならこの時間何をしているか"に照らし合わせばすぐにレールに戻ることができる。

 逆に悪いところというか自分の怠惰によるものはあるが、生活が平坦になり非日常的な活動が何もできない。例えば音楽を聴いている間とかで週末はあれしようこれしようと考えはするのだがほぼ実現できない。充実感はあるが達成感のない日々だ。いま自分が実家暮らしで家事の全てを母に頼りきってる状態でこれだから一人暮らしだったらますます何も出来ないだろう。将来のことは考えないでおく(考えても直視しすぎないようにする)。

 日常を限りなく平坦にしていくことにだけ注力していければ他のことに頭がいかずに済む。何はともあれ今はそれをやっていれば正解なはずなんだ。ルーティンはあらゆる不安を薄めてくれる。大丈夫、大丈夫大丈夫…ところで普段noteを書くことはルーティンにないはずなんだが、一体どうしたんだ?これは非日常か?いやだな怖いなぁ~。

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