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進撃の巨人最終巻 考察

 最終巻を読み終えても、まだしっくりこない感じがあるのは、エレンも言った通り、「ユミルの心の奥深くまで理解することは出来ない」のが原因である。そのため、最終巻の最重要シーンと思われる、ミカサがエレンの生首にキスをして、それをユミルが少し離れた位置から見ているシーンが持つ意味合いを、十分に理解出来ないのである。

考察の手順として、まず手がかりになりそうな事柄を列挙してみる。

・ユミルは2000年間フリッツ王に「従い続けた」

・ユミルはフリッツ王を愛していた(ように感じる byエレン)

・その愛が2000年間ユミルを縛りづづけ、自由を求めて苦しんでいた「愛の苦しみ」

・ユミルの「愛の苦しみ」を自分の行動選択の結果で開放する人間がミカサ

・ユミルは何度もミカサの頭の中を覗き込んでいた(その度に頭痛が発生していた。)

さて、ここまで書くと今度はユミルが何度も頭を覗き込むほど興味を抱き、また最終的にユミルを開放する存在であるミカサを理解する必要がある事に気がつく。彼女の最後のセリフは、「エレン、マフラーを巻いてくれてありがとう」だ。わかったような気でいたが、改めて考えると、ミカサにとってエレンの巻いてくれた「マフラー」とは何を意味しているのだろうか。

 アニメにはなかったセリフだと記憶しているが、ミカサの両親が殺害された時に、「お母さんもお父さんもいない世界は、私には寒くて生きていけない」、そして日が暮れてグリシャと合流した直後にも、「寒い。私には、もう、帰るところがない。」と言った。この「寒い」というワードに注目したい。そのあとエレンがミカサに乱暴にマフラーを巻き、「あったかいだろ」と言うのだ。この時、マフラーの温かさは2重の意味を持つことは言うまでもない。エレンのマフラーは、ミカサにとって永遠に失われたと思われた「人が生きる上で必要な精神的な温もり(愛)」がまた戻ってくる確信を一瞬で与えてくれるものだった。

 始祖ユミルの少ない手がかりを考察する前に、同名の調査兵団のユミル(以下、ユミル(兵))について話をしたい。というのも、わざわざ同じ名前にした登場人物のユミル(兵)の過去は、始祖ユミルを理解するためのヒントではないかと思うからだ。彼女を簡単に紹介すると、誰かに必要とされる存在になる為に自分に嘘をつき続けたことを後悔し、生き方を180度変えた人である。

アニメからの引用であるが、ユミル(兵)のセリフを記載する(なお、強調したい部分を『』にした)。

「正直、悪い気分じゃなかった。冷えてない飯も、地べたじゃない寝床もそうだけど、何より、『初めて誰かに必要とされて、初めて誰かの役に立ててるってことが、私には何よりも大事だったんだ。』でも、あのとき、そんなのは全部、作り話だってことを思い出したんだ」

「私は思った。これは罰なんだって。誰かの言いなりになって多くの人を騙したことへの罰じゃない。『人の役に立てていると自分に言い聞かせ、自分に嘘をつき続けたことへの罰なんだって』」

始祖ユミルもユミル(兵)と同じく、孤児である。豚が逃げたとき、同じ奴隷の中に誰一人として彼女の味方をしてくれる人はいなかった。親を失い、奴隷仲間からも見捨てられ、舌を抜かれ、『寒さ』の中にユミルはいたが、マフラーを巻いてくれる人はいない。しかし巨人の能力獲得後、自分はフリッツに必要とされ、かけがえのない存在となった。神に近い力を手にした彼女だが、その力で復讐や世界を支配するような自由な意志はなく、それよりも誰かに必要とされることを選んだ。

誰からも愛されたことがないと感じていたヒストリアが父親に必要とされることを選択し、自分の意志を放棄してエレンを殺そうとしかけた事と同じである(ヒストリアを救ったのはユミル(兵)の愛だった)。

「あなたを殺そうと本気で思った。それも人類のためなんかじゃないの。お父さんが間違ってないって信じたかった。お父さんに嫌われたくなかった。」

「マフラー」が必要だった彼女は、フリッツに必要とされ続けることで、彼の心の底で自分は愛されていると信じ込んだ。彼女は、過去にどんな酷いことをされても、自分を必要とし、受容してくれる(ように見えた)彼を愛した。

しかしユミルはフリッツの身代わりに槍を受けた時、自分は愛(受容)されているのではなく、フリッツにとってはただの奴隷というモノでしかないと認識し、絶望の中で巨人の再生能力を使う事もなく死んでいく。フリッツ王が知っていたとおり、彼女は今まで何度も再生能力で傷を修復していた。つまりこの絶望を知るまでは生きる希望があったのである。

死ぬ直前、彼女は一輪の花を思い出す(コマがある)。彼女はずっと辛いことがあったにも関わらず、あの花を見た時に初めて泣いたのだ(少なくとも描写の上では)。豚が逃げた犯人にされ、フリッツに「お前は自由だ」と言われた後、自分を笑いながら殺そうとする者達から逃げる最中、木の根に引っかかり、視線が地面に移った時に見た花だ。エレンに「自由だ(お前は奴隷じゃない!お前が決めろ!)」と言われたときにも泣いた。彼女は泣きたいことがあっても、心が「自由」にならない限り泣けなかった。もう一つ無くシーンは、ミカサによって開放され、最終話で3人の子供を抱きしめながら泣くところである。無論そのときも彼女が自由になったことを意味している。

死後、彼女は絶望を知る前の少女の姿のまま、偽りの幸せの中で生きることになった。2000年間、「愛する」フリッツ王に必要とされ、受容されるため、彼の遺言に従い続ける「愛の苦しみ」が始まる。

さて、ミカサの選択はユミルに何をもたらしたのだろうか。私がずっと納得出来なかったのが、ミカサのエレンへの愛を、ずっと頭を覗いて知りながら、なぜ開放されるのがあの時なのかということだった。

ユミルが見たのは、殺害とキスである。ただキスをするだけなら過去に見たことはある。彼女はなぜその二つが同時に起きるのか理解できなかった。自分の知る愛とは違う。なぜ愛する人を殺せるのか。だから始祖ユミルはミカサの頭の中を覗くことにした。ミカサには間違いなくエレンへの愛があった。そしてユミルは過去に遡りミカサの頭を覗くことにした。つまり因果関係が逆なのだ。その結果、自分のフリッツ王への愛が、依存関係から生まれた、歪んだまがい物であると気づく。

驚き、瞬時に遡り、すべてを理解する。過去と未来と現在が同時に存在する。「そうだったのね。ありがとうミカサ。」の気持ちがあの一コマである。

そして娘達を抱いて泣いているシーンが挿入されるのは、自由な感情を手にした彼女が、自分の娘たちに本当の愛を教えられずに残酷な生涯を生きさせた事に気づき、フリッツ王を助けず、今の自分の目線で、理想の過去を思い描いたものであると私は解釈している。

この漫画では過去が二通りあるのではない。ミカサの言う通り、奪われた命は帰ってこない。過去に起きたことを変えることは出来ない。過去はひとつだが、未来によって選択された結果なのだ。親殺しのパラドックスが発生しない、未来と過去と現在が矛盾なく繋がるのが進撃の巨人の世界である。クリストファーノーラン監督のTENETも似たような感じだったような違うような。

巨人が消えたのは過去が変わったのではなく、ミカサの選択を見て、「現在」から巨人の能力を消したのである。過去を変えたのであれば、しかも巨人が世界から消えるような大規模な改変であれば、その後の歴史が全く変わるのだから、ミカサもエレンも存在しなくなる。繰り返しますが、未来からの影響と過去と現在が矛盾なく存在するのが進撃の巨人の世界です。

以上が私の考察です。
















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