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ようこそ、26歳


今日、26歳になった。
祝いようのない歳で、なんだか中途半端だ。

25歳だったら、もし人生が100年計画だったとして4分の一を来たことになる。
四半世紀。
でも26歳は、その節目から一歩踏み出しただけに過ぎない。

それに、その一歩だって、見えない誰かの手に背中をとんっと叩かれて、びっくりして歩き出してしまったような、そんな一歩だ。
不可抗力。
こうしてあっけなく歳を取ってしまうことを悟る。
「ぼーっとしてたら足元を掬ってしまうよ」
そんな声が耳元から聞こえた気がする。

でも紛れもなく、私が踏み出した一歩だ。

アラサーと呼ぶにはまだまだ焦り足りないし、かと言って20代と名乗るのはもう若々しすぎるような気もする。

お肌の曲がり角はきっともう曲がった。食べたら食べた分だけ身体に現れるようになった。
たまに目を背けたくなることもあるけど、変わっていってしまうわがままな私の身体が愛おしい。

素敵に歳を重ねている人が羨ましく感じるようになった。
私もそうなりたいと思う。
年輪のように、私の内側にも何かが刻まれているのだろうか。
今の私では、切ってみても空洞なのかもしれない。
知識も経験も、まだまだこれから身につけられるという自信だけが宿っている。

普通のOLになりたいとは今でも思っている。
毎朝決まった時間に起き、小さめのランチボックスを詰め、お局さんに目を付けられないギリギリのラインを攻めて、通勤ラッシュに揉まれて出勤する。仕事をなんとかやり過ごして、同僚とのランチタイムに華を咲かせ、午後は眠気と戦い時計をにらむ。退勤したら買い物をしたり、たまに飲みに行ったりする。
そんな「普通」はどこにもないことを薄々気付いているから、今の仕事を続けている。

好きな人がいる。
時々想いながら、その人はその人なりに、私は私なりに生きていくんだろうなと思う。たまには交差しながら。
同じ道を歩く必要はないから、どうかこの感情に名前を付けないままでいたい。

今日、自分のために花束を買った。
本当は、誕生日に男性から花束を貰うのが夢だった。
残念ながら…と冠詞をつけるには程遠いほどすがすがしい気分で、私は花束を抱えて帰ってきた。

私は他の誰からでもなく、そして誰のためでもなく自分のために、自分へ与えることができる人間だ。私はたぶん、1人でも生きていける気がしている。

そんな26歳を迎えた。

#日記

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