母との葛藤の日々
※予めお断りしておきますと、あまり楽しい!というような内容ではないです。ご理解の上、お読みください。
「あの子は本当に不細工な子だから」
「あの子みたいな馬鹿な子は」
幼稚園の時、「不細工」「馬鹿」という言葉にわんわんと大泣きした日。何が原因だったのか、どういう時に言われたのかは覚えていない。
ほぼ毎日にように、念仏のように言われ続けていたのに、なぜそんなに毎日悲しかったんだろう。
どこかで、そうじゃない、かわいいと思ってくれてるという期待があって。
日々、それが新しく芽生えてはことごとく打ち砕かれた。
半面、母はものすごく私に干渉してきたし、教育熱心だった。
そんなに嫌いなら、干渉もしないだろうと、幼いなりに思ったんだろう。
悲しいもので、どれだけ酷い言葉を言われようが、母に好かれたかった。
毎日、学校に行くと、ランドセルの中には母の言葉が待ち構えていた。
筆箱を開けると、一筆箋で「姿勢を正しく」
教科書を開くと、「先生の言葉をちゃんと聞いて」
ノートを開くと、「字はていねいに」
母はものすごく達筆な人で、その一筆箋の真ん中、まっすぐ美しいペン字で書かれた文字はわたしをいつでもどこでも見張っていた。
詩を書くという宿題があり、わたしもがんばってそれなりの詩を書いたが、母はそれを消し、自分で書き直した。
いくら子供らしく字を真似て書いていようと、わたしの字でないことは誰だってわかる。
先生は意味ありげな顔をして、作文用紙を受け取った。友達もみんなわかっていた。
毎日、家に帰ると、10枚のプリントがあり、宿題とそのプリントを終わらせなければ遊びには行けなかった。
むろん、全てを終わらせた頃にはとっくに日が暮れていた。
やっと出かけられた!と思ったら、もう夕方のチャイムというのをよく覚えている。
ある夏の日、近所の空き地にあるいちじくの木に登って、いっぱいイチジクを取った。
いちじくは母の好物だからと頑張った。木から落ちてすりむいたし、体中蚊に刺されてしまった。
家に帰るとものすごく叱られた。服も汚れて、かぎ裂きもできてしまっていたからだ。
いちじくを渡すと、「不格好ないちじく」と母は吐いて捨てるように言った。
やっとできた友達が毎朝迎えに来てくれるようになった。ひょろっと背の高い色の浅黒い女の子だった。
名前も覚えている。
うれしくってうれしくって、その子に粘土で小さなカエルを作ったある朝……もう彼女は来てくれなくなった。
後になって本人から聞いた話では、母が迎えに来た彼女に「あの子は勉強や習い事が忙しくて友達にはなれないから、もう迎えにも来ないでほしい。遊びにも誘わないでちょうだい」と言ったという。
母は天照大神のような人だった。
彼女が笑うと、家のなかがパッと光に満ちて輝き、暖かく楽しく思えた。
一緒にドーナッツを作ったり、餃子を作るのが楽しかった。
でも、いったん機嫌が悪くなり、般若の面のように恐ろしい顔になり、手に負えない怒りが爆発し始めると、私は嵐が行き過ぎるのを身をかがめてジッと待つしか手段がなかった。
本当に気の休まらない家だった。
朝起きた時、家に帰る時、今日はどんな日だろうと思った。
怒られる日か、そうではない日か……
どうしても忘れられない出来事が二つある。
母から好かれてるんじゃないかという幻想を抱かないよう、自分を戒めるために何度も何度も繰り返し思い出したから、忘れられないのかもしれない。
長くなったので、また書きます。