映画「ホロコーストの罪人」感想

 大学生になってからなにかと私は戦争映画、ナチス映画を映画館で見るようになったが、このコロナ禍で映画館で映画を見るということがなくなってしまっていた。しかし、今月から住んでいる県のまんえん防止対策が解除されたことを受け、感染症対策を十分にしたうえで「ホロコーストの罪人」を見に行くことにした。

 舞台はノルウェー、1940-1942年に実際にあったノルウェーに住むユダヤ人たちの話である。この作品の特徴は何といっても舞台がノルウェーである点だろう。ナチス映画というと、ドイツ国内の話、収容所の話、それからフランスの話が多いイメージがあった。それは「戦場のピアニスト」や「ジョジョ・ラビット」といった今昔の映画や、世界史的にドイツのフランス侵攻の大きさなどが心のどこかに残っているからだろう。
 すべてを見た私を襲ったのは、言い知れぬ具合の悪さだ。基本的にナチス映画を見た後というのは胸から首にかけて軽微な苦しさを覚える。「ホロコーストの罪人」も同様だ。監督のインタビューでも名前のでていた「戦場のピアニスト」に似た静けさと、重苦しさのある映画である。

 主人公のチャールズ・ブラウデはノルウェーでボクサーをしているユダヤ人だ。両親は敬虔なユダヤ教徒だが、本人はユダヤ人としての意識よりノルウェー人としての意識の強い青年だ。
 物語では序盤から彼がノルウェー人の彼女であるラグンヒルと婚約する。小さいながらもにぎわいのある婚約パーティに、狭いが夢をみるには十分な新婚の部屋。もともとリトアニアから亡命していたブラウデ家は絵に描いたような幸せではないものの、笑顔に包まれた温かい家族であった。
 しかし、1940年にナチス・ドイツが侵攻。ノルウェーは降伏した。

 ここからの流れは、是非見てほしい。ある程度歴史を知っている人ならば「もしかしたら」が全てその通りに行われていくし、偶然興味が湧いて観た人ならば一部脚色があるにしても、現実にあった出来事であることに少なからず気持ち悪さと心苦しさを覚えるだろう。

 個人的に「ホロコーストの罪人」を見て印象深かったのは無音の使い方である。主人公チャールズに焦点が当てられているときに使われる無音はチャールズの許容できる範囲外の出来事に身体がシャットダウンしているようにも感じるし、現実から目を背けているように、悲しみに身体が包まれているようにも感じる。そして最後、チャールズの両親に焦点が当てられた後の無音は、その後彼らが迎える「終わり」を示唆しているように感じた。何にしても、「無音」の使い方が素晴らしい映画であった。
 また、「ホロコーストの罪人」は分かりやすい起承転結があるわけではなく、ただあるままに、そうであったから存在する点がある。どこかやはり「戦場のピアニスト」を想起するところがあるが、つまり、どの国においてもユダヤ人の人々は「そうであった」ということだ。また、「戦場のピアニスト」よりも主人公以外への焦点が当てられている割合が多いように感じた。監督もインタビューで「観客にはノルウェーで実際起こったホロコーストの被害者に共感できるようにしたかった」といっているが、まさしくそのような場面構成になっていた。
 今回は出来うる限り映画の音や構成に触れ、出来るだけ歴史の話はしないでおく。ただ、この作品を観た人が自主的に彼らの、そして自らの歴史を振り返ることがあれば、良いと思う。

 来週は「沈黙のレジスタンス」を観に行こうと考えている。この作品もユダヤ人に焦点を当てた作品である。残念ながら「アウシュビッツ・レポート」を見る機会を逃したので配信かDVDが出次第見るつもりだ。

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