映画「東京クルド」感想

 休日に、ただ映画を見る為だけに外出するのは数か月ぶりであった。というのも大学に行くついでに、大学に行く前になど、何かと付随していないと行動できないからだ。しかし、スケジュールを鑑みて「東京クルド」は見るために外出しなくてはいけない、と結論づけたのだ。

 「東京クルド」はドキュメンタリー映画である。東京に住むクルド人に密着した内容でありながら、あまり音や文字による編集は存在しない。ただありのままに、クルド人の生活を描写している。
 お盆に私は東南アジアから留学生としてやってきた青年に密着した番組を拝見した。自分がコンビニでアルバイトをしていた際に8割の同僚が留学生であったこともあって、興味深かったのだ。私は「東京クルド」を見る前は、そのような番組に似たようなものなのだろうか、と思っていた。
 しかし、その内容はお盆にみた番組以上に厳しい現実を私に見せつけた。日本における難民申請認定者の少なさは理解していたつもりであった。薄っすらと、しょうがないと思ってしまっていたところもあった。その感情が、彼らに当たり前さえ困難とさせているのだと眼前に見せつけられた。
 仮放免という立場を得ている彼らは働くことを禁止されている。しかし、だからといって彼らに生きられる何かを与える公的機関は存在しない。難民認定されていない彼らは日本で行きたい専門学校にいくことも、スキルを活用して働くことも出来ない。入管に収容されれば不調を訴えても救急車がくるのに30時間もかかる。
 その中でも「学ぶことは禁止されていない」と、ビザを貰えるか分からない中でも学び続ける青年と、したいことも見つからず、どこにも居場所がないと悩み苦しみ続ける青年がこの作品では主要な人物となっている。
 18歳の青年と19歳の青年。話す姿はネイティブな日本語で、悩む姿も学ぶ姿も、何も同年代の他の日本人と変わらない。家族との仲も、ありふれたものだ。違うのは「権利」を得ているか得ていないかだけだ。

 映画に見えるのは普通の青年たちだ。日本にいるクルド人の数は何倍にも上り、難民申請をして認定された人はだれもいない。映画になにかを意図した音や文字入れはされていない。ただ、見た私達自身が見たことによって感情を、心を動かし、日本の難民に興味を向けさせるには十分な内容であった。
 私はあまり日本が舞台の作品を観ないのだが、チラシを見た時からこの作品には興味を抱いた。そのファーストインプレッションを逃さず、観に行ったことに強く安心を覚えた。私達はこの事実を観なくてはいけない。
 私は条例などを読むのが苦手なのだが、入管法に関しては今度きちんと読んでみようと思う。

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