無味無臭の文字

 文章には作者のアジが出るらしい。
 初めてその言葉を聞いたときに思ったのは、「はて、自分の文章にアジは存在するのだろうか」ということだった。所謂「僕、私、生、死だけを使って一文を書く」といったものがTwitterで流行っていたことがある。そうして出来上がった一文に、どこまでアジが……私らしさがあるのだろうか。

 自分の思考が他と違うとは思えず、まただからと言って平凡と言うには人生の中で「おかしい」と言われた回数が多く、しかしクリエイティブな人々と比べたらやはり文字に、文章にアジがあるとは到底思えず。

 言うなれば無味無臭。味もしなければ匂いもしない。害はないが誰かに好まれることもない、そんな文字。
 なんとも独りよがりな文字で、可哀想と思うのさえ自分しかいない。

 しかしまあ、私自身は無味無臭であることが悪くない。平凡でもクリエイティブでもない文は、どうにも社会で生きられない自分にそっくりだから、嫌いにもなれない。だから文を、誰に見せるでもなく書いてしまうのだ。

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