ぼくの音楽遍歴

初めての記事からかなり時間が空いてしまいました。
と、いうのも下書きに書いて公開していない記事が2~3個あるのですが、どうも書いて満足してしまって、ひと様に見てもらうまでもないなと思って公開していない次第です。
Twitterで音楽遍歴について語ってるのをみかけたので、僕もやりたいと思ったのがきっかけではありますが、クラブで知り合った人とかにも妙な音楽の趣味をしているからか「どういう経緯でそこに辿り着いたの?」みたいな話をよくされるのでこの記事を見てなんとなく話を膨らませたりできればという目論見もありこうしてまとめることにしました。

胎教音楽


時は1995年。
話は胎教音楽までさかのぼります。

ここで両親の好きな音楽を一旦紹介しておきます。
●顔の濃い元ヤンの父
矢沢永吉・TUBE

●よく東南アジア系に間違われる元陸上一筋の母
DREAMS COME TRUE

2人ともテレビで流れている音楽を聴くという感じで、家にあった数少ないCDは前記のアーティストのオリジナルアルバムや流行ったアーティストの流行ったアルバム(KANの「野球選手が夢だった。」等)や、流行ったアーティストのベストアルバムがほとんどでした。後にこれらのベストアルバムはかたっぱしから聴くことになるので、なにが置いてあったかは一旦保留にします。

ふじみ家は自動車社会で両親ともに運転ができます。
まだワンセグもない時代ですし、家のクルマの中ではこうしたCDが無限ループでかかっていたわけです。

僕が生まれる前から両親はそんなJ-popを流しながらドライブデートをしていたのだろうと容易に想像ができます。

僕が誕生してからも特に変わりはなく、これらのJ-popやラジオ(NACK5やTOKYO FM)が流れていたのだと思います。

この頃中でも思い出に残っているアルバムはTUBEのBravo!(1997)です。

もちろん、このアルバムが出たころは1歳から2歳になろうとしている頃なので、楽曲の記憶なんて全くないですし、どういうアルバムなのか正直わかりません。

記憶と言えば父が持っていた膨大な量の入るCDキャリングケースの中でひと際目立つ盤面。オレンジと紫色でサイケな色使いの柄が描かれた盤面を指さして「これ聴きたい」と言っていた気がします。

流石にこの書き方は失礼だと思い、今聴いてみようとサブスクにないか確認したところアルバムはなかったので、今後出てくるサブスクにないアルバムは今度実家に戻った時にまとめて回収して聴いてみようと思います。

2000年前後

自我が芽生え始めた4~5歳頃。時は1999~2001年。
J-pop史で言うと、aiko、椎名林檎、宇多田ヒカルのデビューした時期(これらは正確には98年ですが……。)です。この頃、伯母が同居しており、週末になると一緒にTSUTAYAに遊びに行ってはシングルを即日で借りて駐車場でMDに録音したりしていました。

僕は、世間の例に漏れずモーニング娘。と宇多田ヒカルと浜崎あゆみに夢中でした。HEY!HEY!HEY!やうたばんは家でついていましたし、きっとその延長線上です。

話は変わりますが、ここで一旦クルマの話をさせてください。というのも中学に上がるまで音楽を聞く場所の8割はクルマの中だったこともあり、音楽の好みとクルマというのは非常に密接に関わってくるからです。

ふじみ家は母のクルマは日常の買い物や保育園や小学校の学童への送迎の足として、父のクルマは週末のおでかけにつかうというしきたり(?)があり、この頃、父のクルマはアリスト(二代目)、母のクルマはパジェロミニ(二代目)で、叔母のクルマはプレオで、それぞれ流れている音楽のジャンルが違いました。

母のクルマでは送迎でグズらないためにこの頃やっていてテレビで見ていたアニメの主題歌をTSUTAYAで借りてきて録音したカセットテープが。(おジャ魔女カーニバルやButter-Flyなんかが入っていました。)父のクルマにはCDチェンジャーがついており、ここまで出てきたJ-popのCDのどれかしら、SMAPやMISIAのベストなんかが。そして叔母のクルマでは最新のヒットチャートの曲が流れていたと思います。

この頃、親が僕のために買ってきたCDとしてモーニング娘。の「プッチベスト 〜黄青あか〜」があります。あいにくこちらもサブスクで聴けませんし、いま手元にないので、ベストアルバムという情報以外なんとも言えないのですが。

ちょこっとLOVEとかは母がテレビで流れてるのに合わせて歌ってたイメージがあるのでかなりヘビロテしていたのだと思います。

これは僕のために買ったわけではないと思いますが、この頃両親が買ってきた宇多田ヒカルの「First Love」もかなり聴いていました。このアルバムは大人なるまでも、大人になってからも定期的に聴く名盤です。


それはさておき、ここで絶対に外せないのがポンキッキーズのコンピレーションアルバムです。

斉藤和義、山下達郎、スチャダラパー、電気グルーヴ、森高千里、大江千里。そして矢野顕子に和田アキ子。
錚々たるメンバー。
ロック、ポップ、ヒップホップ、テクノ。
本当にポップスの英才教育みたいなアルバムだなと今見ても思います。
比較的、父が運転するクルマの中ではアニメソングとかは流してもらえなかったような記憶なのですがこれはなぜか許されていました。
この話をしてもみんな「こんなコンピあったのか~」程度なのですがもっと評価されて欲しいコンピです。


小学生時代(低学年~中学年後半くらい)

この辺で転機が訪れます。

2005年、ドラマのタイガー&ドラゴンの放送が始まると、父が同じ会社の人から1枚のCDを貰ってきます。

クレイジーケンバンドのベスト盤です。

この1枚が自分の人生を変えたといっても過言ではありません。

一曲目の『OLDIES BUT GOODIES』から、大人なジャジーでメロウでスケベな雰囲気の曲。精通も迎えていなかったどころか、難しい日本語のわからない僕も「せいしゅんのよりみち わかげのいたり」とクルマの中で歌っていました。中でも一番好きな曲は、三曲目、『透明高速』。イントロの浮遊感のあるシンセサイザーの音と、うねるようなベースライン、独特の世界観の歌詞に引き込まれました。「見てはいけないもの」が何なのか、という考察をしながら、歌詞の内容に出てくる「病院坂」を探して本牧にドライブに行ったのを思い出します。他の曲の歌詞に出てくる「帝釈天」「三笠公園」
なんかにもアリストを飛ばして家族でドライブしに行きました。

そうして家族の中で一大ムーブメントとなったクレイジーケンバンド、そこから「BLOWN METALC」、「SOUL PUNCH」、「GALAXY」、「SOUL電波」、「ZERO」、「ガール!ガール!ガール!」辺りまではずっと買い続け、家族で夏の旅行に行く前に毎年新しいアルバムを買ってその旅行の間中ヘビロテするという習慣ができます。

なかでも好きだった曲は

「SOUL電波」の『路面電車』

「SOUL PUNCH」の『流星ドライヴ』

「ZERO」の『中古車』

辺りでした。

今こうして聴いてみると、この時から、比較的アルバムの中でも変な曲が好きだったんだなという感じがします。今思うとこれがロックへの導入なのかもしれないですが、こういうジャンルが「ロック」であるということを僕はまだ知りませんし、そもそも音楽にジャンルというものがあるともわかっていなかったでしょう。ただ『歌』としてしか認識していません。


とりあえずここまで。気が向いたら続き書きます。

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