なぜ日本語では『イク』なのに英語では『come』なのか
よこしまな英語への素朴な疑問ですね。
これについては以前に行った「萌え読み」の原書読解講座の時にご質問でいただき、新書館さんの『クリエイターズラジオ』(スペース配信)でもこれをテーマにゲストとしてしゃべったことがあり、さらにそれを聞いた友達から「昔飲み屋で飲みながら解説していたよ」と言われたのでどうやら私は数年前からこの話をしてるみたいです。どんだけだ。
18禁の話ではないですが、テーマ的にあからさまな言及もあるので、あんまりいとけない方は読まない方がいいかな…
さて。
『イク』とか『イく』とか、あるいはひらがなで『いく』とか、バリエは色々あれど、エロシーン頻出のセリフです。
英語では”I’m coming.”になります。進行形なので「今まさにその状態に到達しようとしている、進行中の事態」という切迫感がありますね。本当に達しそうな時に言います。”I’m close.”という言い方もあるけど、こっちは数秒とか十数秒余裕がある感じ。
もしくは攻めが”Come for me.”つって受けを追い込んだりするのも定番です。このfor meが好きさ。訳出はしない方がテンポがいいことが多く、深い意味があるfor meでは(普通は)ないので日本語になると見えなくなっちゃうんですが、いいfor meですよね。forの味わいが日本語にはない感じ。
結構多くの人が抱いているらしい(体感調べ)そもそもの疑問。
■「なぜ日本語では『イク』なのに英語では『come』なのか」
どうしてこのような疑問や違和感を抱くのかというと、これでしょう。
「行く=go では?」
そういう感覚があるのに、英語ではgoと言わずにcome(日本語の感覚だと『来る』)のはどうしてだ、comeとかcomingって言うけど一体「何が」来るっていうんだ。
というような感覚ではないかと思います。
この日本語⇔英語のズレがどこから来るのか、その秘密を解き明かしにアマゾンの奥地へ向かう…前に、まず辞書を引きましょう。
■辞書は色々知っている
何か感じたら辞書引くの、オススメです。
まずcomeとgoについて引きます。できれば複数辞書で引くのが理想ですが、ネット辞書でもよき。
項目全部載せるとえらいことになるので、ちょうどいいあたりを抜粋して見てみましょう。
come
「そのとき, 日本語では「行く」になる」って、なんかもう答えが出てる気もしますが、とりあえず続けます。さらにcomeを辞書で引く。
コンパスローズでは、基礎動詞に「コアイメージ」という、動詞の基本的な方向性の解説がついていて、わかりやすいです。
comeについては「近づく」という解説が多いようです。
ではgoに行こう。
go
goは、普段日本人がイメージする「行く・進む」に加えて「去る、離れる」という解説があるのが目立ちますね。
ホラー映画なんかでここから逃げなきゃ……って時には"We have to go! Now!"と言いますが、目的地があるとは限らない。とにかく「ここは離れなくては」のgoです。いなくなった人のことも"He's gone."と言う。これも「どこに」という情報はない。そこがメインではないからです。今いない。goしちゃったから。
なんとなくぼんやり方向性が見えてきたような気もします。どうでしょう。
では次は、「行く」を国語辞典で引きます。
ここがかなり大事で、日英で食い違いや違和感を感じたら、日本語の方も辞書で引いてみることをオススメします。
行く
comeが「近づく」、goが「遠ざかる」を中心に語義があったのに対して、「行く」は「進む/遠ざかる(ように進む)/目的地に向かう」など、comeやgoに比べると方向性が広いのがわかります。
エロシーンでの「イク」は、この「目的地に向かう」イメージでの「イク」だと考えてよさそうです。
この辺で推察できること。
・comeは「どこかに向かう」ことに力点が置かれている。話や意識の中で「中心点」になる場所に向かう。そこは話し手の現在地であったり、聞き手の現在地であったりするので、話し手はcomeによって移動することもあればしないこともある。
・goは「そこから離れる」イメージが意味の核にある。話の中心点から「離れて」どこかへ出る。なので「去る」という使われ方もする(She’s gone:彼女は亡くなった、など)。話し手・主語が移動(変化)する(地理的な移動、状況の変化)。
・行く は移動全般を指す。移動する、離れる、到達するを「行く」だけでまかなえる。
2階にいる子供に「朝ごはんできたよ!」と言えば子供は”I’m coming!”と返事をします。これは相手のところを目的地(話題の中心地)に設定して「そこに行くよ」という言い方。自分は2階から1階に移動しますが、相手の所在地を目的地としてピンを打ち、そこをメインの座標に設定して話をしている。
ここで”I’m going!”と返したなら、「お前は飯も食わずに出かける気か」というシーンです。座標を離脱するからね。
comeとgoのニュアンスの差がわかってきました…かね。
ではまたもテーマに回帰。
■「なぜ日本語では『イク』なのに英語では『come』なのか」(解答編)
『イク』はすなわち「オーガズムを迎える」ということで、日本語では「達する」とも言いますね。絶頂に達するとか。
これは「目的地(絶頂ポイント)に向かう」状態でしょう。「離れる」のではなく「到達する」意味が込められている。
「オーガズムに達した」状態が「目的地」になっています。
goではその「ポイントに向かう」感が足りない。goには離脱の意味が入っているから、今ここから「どこかに離れる」のはエロシーンの最中としてはまずいわけです。
なので、「イク」は英語では「come」を使い、「到達」感を出すのです。
(あえて補完するなら、I’m coming to orgasm.になるのかなーと思います。そんなこと言ってるキャラ見たことないが、まあ)
クリエイターズラジオでこの話をさせてもらった時に私が書いた図がこれです。参考までに。
ちなみに、comeはあんまりに性的に使われるので、綴りが変容して’cum’になり、名詞化して「精液」という意味になりました(comeのままこの意味で使われることも多い)。
そしてさらにちなみに、ここまでの結論をひっくり返すちゃぶ台返しになりますが、goにも「オーガズム」や「精液」を意味する名詞の語義があるので、なんだかんだで「やっぱりgoで良くね?」派もいたんじゃないかなあと思ってます。
ただしこの名詞も辞書にもほとんど出てこないし使われてるのは一度も見たことがないので、comeに負けてひっそり片隅にひっこんでいった用法なんじゃないかと、妄想がふくらむのでした。
役に立ちそうな小ネタとしては、goには「離れる」ニュアンスがあるため、go madとかgo badなど、「変化する」という意味ではネガティブな言葉を導きやすく、comeは逆に「中心部に向かう・到達する」ニュアンスがあるため、「変化する」という使い方ではポジティブな言葉が続きやすいです。dreams come trueはgoじゃダメでcomeが適切ということです。
エロ方面から掘ってみると、comeとgoの使い分けにも詳しくなれるよって話でした。辞書は意外といろんなこと書いてあって、知ってる単語引いてもおもしろいです。
4月にまた「萌え読み」4回集中講座あるからよろしくねっと。(M/M短編原文を教材に、解説しながら一本読みきります)
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