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蝶々

二階堂奥歯の「八本脚の蝶」をお守りのように思っていたころがありました。光の通り道を見るように、二階堂奥歯は凛としていて、ずっと遠くをみていたように思います。

かなしさの海があるとして、今わたしは港を、遠くからでも良く見える灯台を探しています。
クリスチャンであることを喜びます。
神様はとてもまばゆい灯台です。そこへ向かうには、ゆっくりと、息をして、沈まないように気をつけて。

自分の精神状態に振り回され(また周りを振り回す)日々が続いており、生活の根底に大いなるかなしみがあります。

かなしい、むなしい、心細い、溺れそう、死んで終えばよい、というすべてを携えて神様の、キリストの手を握ることもできると信じます。
かなしみの海の波打ち際をうつくしいと思えるまであと少しな気がしています。

わたしにはなにもなく、また、なにをも持っていません。なにも残りません。
わたしははだかで産まれてはだかで死にます。

それでも、神様がいます。わたしの場合は、そばに寄り軽く手を添えて立っているような感覚です。

すべての人の平安を祈ります。
「いのりちゃんは名前がいのりだからね」
と言われたことをどうか忘れませんように。

きれい

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