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海【小説】

風で海がめくれ上がって、細胞膜のような波が遠くまで連なっている。そこに、曇り空から覗く僅かな太陽の光が映り込んでは数秒で波の底へ沈み、もう時期消える星のように断末魔に近い瞬きを見せていた。

モーターのすぐ上の席に座っていると、まるで自分がこの大きな船の主のような気がしてくる。泡の下に入り込んだ泡の白色が水面に透け、まるで真っ白の海のようになった船の轍を見下ろして、硝子細工や向こうの透けるグミを想った。

ごおんごおんという大きな振動に身を任せたまま転寝を繰り返す。海風がスプレーで固めた髪を根元から押し上げ、乱していく。人も住まない小さな島が流れては小さく縮小される。

理由を探して口を開いたが、理由が無くてもここに居ていいのか試したくなって、口を噤んでみる。本当のことを言えば、本当のことを知ってしまうことが怖くて、知らないふりをすることで君の嘘を引き延ばしていた。

それは長い暇潰しのようでもあり、本当の痛みから目を逸らすための新しい打撲のようでもあり、どこかじっとしていられなくてそれでいて話す言葉が見つからない時の、椅子を漕ぐ高校生の10分休憩のようでもあった。

本当は私たちはまだ出逢えてすらいないし、何か形に残る物などひとつも作ることができない。そしてそういう形になる前に泡のように消えてしまうだろう。天邪鬼故さが災いしてこの目で見るまでは何も信じることができないから、参考書を開けずに、いつだって飛び込んでみた後に答えを知りたがっている。

外へ出ないことは孤独と同義だった。耐え難い怪物の原因が、何なのか私には分からない。気にしないようにとステッカーのように上から貼り付けた楽観で、封印できるようなものでもない。
苦しいと伝えるにはどうしたらいいのだろう。それひとつが出来ないから、塗り潰すように時間を埋めている。追い払ったと思っても、いつの間にかまた現れるのは、きっと消えることはないという答えだ。注射では泣かなくなったように、いずれ苦しみが怖くなくなっていき、ああまた例のこれかと片腕を交互に差し出せる日が来るだろう。

綺麗でなくともいいのかもしれない。
縋るように、或いは利己的に電卓を弾いて始めたことからは、本当に何も得られないのだろうか。

勝手に伸び縮みする定規を持って、いつも何かと私との距離を測っている。すごく近いか、とても遠いかしかなくて、真ん中は不安な空洞で反響している。ほんの少しでも本物に近い形で世界を見たいと願っているのに、恐怖が好意が時間が焦りが距離を測り間違える。
そうしてまるで答えに見えなかった答えを、残り物を漁るように手に取って恐る恐る進むのだ。

空が曇ったままで少しづつ明るくなり、海は粒子を帯びて映らなくなった鏡のように白銀になり、液晶を写真で撮るようにびぃっと揺らめいた模様を見せていた。硬いオレンジ色をした、船の名前が書かれた浮き輪が甲板に縛り付けられ、その表面が強い光となって眼を刺す。

ああきっと私は、思ってたより出来ないんだ。
そして、そんな事関係なく世の仕組みとして、私は出来ないことをやっていかなきゃいけないんだ。
何度も見た答えがまたはっきりと浮かんできて、繰り返すうちにそれは達観に近付いて、波打ち際近くもうすぐで手に触れそうで何度も無駄に手を伸ばす。
客観性と勘違いした決め付けで世界を汚すくらいなら、振り回される方がまだ救いだ。

そんなことを毒づきつつも拾い集めたようやく答えに近いものたちのお陰で、世界はようやく形を見せてくれたようにも思えて、
私は島の間に流し込んだような透明の海を
ひとつの答えのようにずっと眺めていた。



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