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記憶の海に溺れる

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林檎

林檎を細く剥くように、日々を断たないように、なるたけ何度も繰り返して続くように、 左手を林檎の皮の向こうのキッチン包丁に添えている。 アラームが鳴って、あと5分、と手を伸ばした先で眠った夢は悪夢だった。 夢の中で私は、へらへらしながら何かを仲裁したり、美化したり、自分を正当化することに必死だった。それでも、まるで思うように周りは動いてくれなくて、私は何かを止めるだけの正しさなんて一つも持ち合わせていないのだと情けなかった。覚める瞬間に、あぁこれは夢だと気が付いた。目を開くと

    • 季節は懐かしさを連れてくる。 嫌いだった曲を好きになって、また聴けなくなった頃。金木犀を潰して香る、煙たい夜のナイターの香り。 城前の黒い海みたいな公園から見える、金の私鉄のレールは昔から遠い轍のようだとか。 鍵盤のように空に生えるビルの不揃いな光は、不揃いなカーテンのせいだとか。 書き連ねては消して、誰かの救いになれるような大きな痛みを知りたい。コートを買うお金は無いけど、少し寒い日には街に出たい。 立ち読みをしたファッション雑誌、私もいつかは大人になりたい。 目分量

      • 青を泳ぐ【小説】

        私のお父さんは目が青くて、私の言葉は半分だけ 海の向こうの言葉だった。 お父さんは私に言葉を教えたがった。心のどこかで、この国の景色より少しだけ、故郷に誇りを持っているようだった。 17の私は文化より普通が欲しかったから、そんな全てにうんざりしていた。変な味のプディングは好きじゃなかった。日本の音楽番組が見たかった。 だけど何となく彼の青い目に映る私に遠慮して、私は彼と同じ言葉で話し続けた。 彼の目の前だけに限定して。 授業で当てられたとき、私は周りと同じように片言の音

        • 君の癖を分けて【小説】

          薄黄緑のマンションが紫の日暮れに立っている。淡い月が見えて、星はまだ出ていない。 色とりどりの窓はカーテンを抜けた生活。 夕方の風がほんの少し肌に寒い。小さな気候の変化のその先に必ず来る冬を想う。数日前、小学生の甥がゴキブリに似た足の細い黒い胴体を掴み、お兄ちゃんこれが鈴虫だよと笑ったのだった。 アパートの灯りのオレンジは季節の深まりに伴って妙に暖かに見えた。秋の寂しさは、きっとこんな対極感から来ている。 ここにいようが夏だとしたら、あそこへ帰ろうが冬だね。 何をしようと

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          9本
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          5本

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          デジタル・リテラリー・マスター【小説】

          俺の兄貴は所謂若者向けのインフルエンサーで、2年前に交通事故で他界した。 あの頃、兄貴の名前を検索すればサジェストは酷いものばかりだった。誰もが記者気取りで閲覧数を上げるためにあることない事を撒き散らしながら、惜しい人を無くした、悲しいですと俺たちに言った。信号無視をしていた、速度違反をしていた、実は無免許だった。 そのくせみんな口を揃えて、心中お察ししますと言うから、俺はどんな言葉を使ってもあいつらと同じ穴の狢になる気がして、俺の心中なんか分かってたまるかと思って決して兄

          デジタル・リテラリー・マスター【小説】

          エントランスの空【小説】

          何も書くことがない、広げなくなってしまった白紙のノートに真っ青な空色を雑に塗って、 何度でも同じように八月はやって来た。 炎天下、首の後ろの日焼けを気にしている。インスタのストーリーをタップする度向日葵と共に誰かが咲いていて、流れて、忘れていく。デパートに来る水族館に誰かを誘おうとして、 辞めた。 きっと言葉を選ぶ前の私たちは大差なくて、選んだ言葉の先が違っていただけなのかもしれない。 好きな音楽も、自然と前で足を止める絵も、ニヒリズムも、大きめの犬歯も、グラドルも、立体

          エントランスの空【小説】

          手術痕と炭酸【小説】

          いろはすのペットボトルを乱暴に置くと、底が音を立てて少し潰れた。つまみ出せば中身の揺らぐ影が涼し気に夏の始まりの色をしていた。 白飛びしたアスファルトで蟻が死んでいる。 遠くで学校のプールのホイッスルが聴こえる。むせ返るような塩素の匂い。悲鳴。笑い声。工場地帯の近くの通学路。 大きく育ち過ぎた街路樹は排気ガスで染まって、雷の鳴る夜には幽霊のように見えるのだった。子どもたちは国民的アニメの都市伝説を話し、一世帯住宅の隣には犬が繋がれていた。 光化学オキシダント注意報。 拭う

          手術痕と炭酸【小説】

          フランダースの犬【小説】

          僕が油絵を描き始めて、もう12年になるらしい。 テーブルに並ぶ静物を眺めて、光の差し込み位置や物体の角度を触れるように書き写す。ただ膨大な時間をかけて色を重ねては、重ねて消し、また重ねるだけのひとりの作業。 僕の没頭。 8歳のコンクールの時から、すっかり俺の生活の一部になった油の匂いと、青く染まって抜けなくなった爪。数え切れないほど買い替えた筆の、入った鞄。 或いは受験、或いは賞、或いは。俺が唯一「紛れもない僕自身のものだ」といえるものがほしくて、探し続けて足掻き続けてき

          フランダースの犬【小説】

          ドッペルゲンガー【小説】

          妻が死んで20年が経つ。 人の目を気にして歩いていたのに、いつの間にか身体を気にして立ち上がるようになった。延長した電球の紐には小さな熊の縫いぐるみが付いていて、 それはもう、可愛いねと愛でられる目的よりもっと機能的になって、暗がりで朧気に浮かんでいる。 一人になっても独り言はついて出てくるもので、言葉は何かを伝えるためではなくて、存在証明のようなものだったのかもしれないと思う。 ここに居ると、咳払いのように主張してみる。疑問形ではないけど、誰かの返事を待って、会話になり

          ドッペルゲンガー【小説】

          ベランダと夕立【小説】

          街頭の下で影は幾重にもなって、生温くなった風と少し治まった蝉の声、 風呂上がりの梨花は肩にタオルを掛けたまま、サンダルで影から影へ飛んでみせる。Tシャツから覗いた細い腕の先にはヘアゴムが付いていて、器用な梨花はいつも爪を塗っている。 私の部屋に置きっぱなしのトランプは零した缶コーラで濡れて、スペードの3が分かるからババ抜きはもう出来ない。だからちゃんと片付けてって言ったじゃん。少し抑えて可愛く怒る梨花の顔が切ない。 短いスカートを履いている日は簡単に好きになってしまう。

          ベランダと夕立【小説】

          発車ベル【小説】

          苦しまぎれについた咳が場違いさに戸惑っていた。土濡れた電車の床に落ちた花びらは汚れている。 俺は、日々の中でうなだれない。悲しみにも喜びにも靴一足分の距離を置いて、黄色い線の向こうではいつも電車が音を立てている。 おれのためだけのものなんて、この世にひとつもない。わかっている。 よれた薄茜色の時計台はもう20分程遅れている。見慣れた通学路はいつも同じ少しくすんだ色をしていて、それを悲劇だと嘆くのが嫌で、つま先立ちで背伸びをしていた。その先で、もうヒーローにもなりきれなくなっ

          発車ベル【小説】

          夏の追憶【小説】

          夏祭りを思い出す。 屋台に並んで買ったりんご飴は甘くて、甘過ぎるものはかえって口に苦くて、口を真っ赤にして君は笑った。 君は台風や夕立が好きだった。真っ黒な雲を風の端に残したまま、人口甘味料みたいに毒々しい色をした夕暮れが、道路から水気を奪っていった。 人混みの中で花火は音だけが大きくて、かろうじて見えた切り端に君は大袈裟に喜んでみせる。 もう嘘も上手くなっていたから、子どものふりもできた。 お神輿が来て、ご祝儀を渡して、いつもは降りない駅の坂は長い。誰かが落とした空き

          夏の追憶【小説】

          夜何となく居ても立っても居られなくなると、 黒い自転車で大通りなどを、ぐるぐると宛もなく回る。 駅から城にかけて大きな一本の道路に、無数の路面電車のレールが交わって重なっている。それが金色の街頭に照らされて轍のように見えるとき、寒さで少し滲んだ視界のせいか胸がいっぱいになる。 そういった痛みを忘れるのを怖がる焦燥感のような衝動。笑い疲れて汚れた靴のまま眠るような。 ジオラマのように、一つ一つがまるで玩具箱の中のように詰め込まれて窮屈に直立している。電球を結び連ねたような街

          ホルマリンの中の街

          倦怠感とは真逆の、空っぽの爽快感と無双感が足を進める。 私の世界に私以外のものが何もなくなってしまった。在り来りな日々が、在り来りではなくなる一瞬だけ、誰かと分かり会えた気がする。 UFOキャッチャーで狙っていたマスコットをワームが掴んで友達と飛び上がった瞬間、地元の先輩から貰ったグリッターの青ラメ、倉敷駅前の時計台から流れるオルゴール音のように、 やがて同じ覚めきった喪失へと沈んでいくそれらが、一瞬だけ目に鮮やかに視える瞬間に、私は感情を手放して心の奥だけで褪せない思い出

          ホルマリンの中の街

          返ってこない10代と、独りを縫い合わせて2人だった

          高校の頃を思い出すと、必ずそこに一人の女の子がいる。 人懐っこくて明るくて危なっかしくて、いつも黒とピンクのウインドブレーカーを着ている。話し方も顔も芸能人のローラに似ていて、人を惹きつけるオーラを持った子だった。 無気力で、傷付けたり傷付くことばかりを怖がっていた私の鎧を叩き壊して、彼女は意気揚々と私に笑いかけた。私のペットボトルに勝手に落書きするし、体育の先生とは大喧嘩するし、授業中に変顔してくる(唇の形を綺麗なハート型にすることに専念していた)し、聞いたこともない渾

          返ってこない10代と、独りを縫い合わせて2人だった

          PKshampoo、鉤括弧の中へ

          今になって初めて、 今までずっと語るのを避けていた好きなバンドのことを書いてみようと思う。 私が今までPKshampooのことを殆ど語ってこなかったのは、ゴイステが私を饒舌にさせるバンドなのに対し、PKshampooは私から言葉を奪うバンドだったからだ。 背負いきれないまま背負って早く大人になろうとして、幼くて繊細過ぎた歳に反して私達の近くには当たり前のように生死があって、取りこぼすことがまだずっと怖かった頃があった。小さくなっていく制服に対して大きくなっていく掌、その中

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