1年前のnote。

そういえば、こんなものがあった。このnoteを登録していたことも忘れかけていた。

課題をしていると、ふわふわしたような気持ちになることがとても多くなる。椅子に腰掛けているにも関わらず、なぜかグルグルと自分が回転しているような感覚に陥る。

なんというか「漂う」、いや、「揺蕩う」が正しいのか。心も此処に在らずといったような…


なぜ、初投稿なはずなのに1年前なのか。
「揺蕩う」という単語が頭に浮かんできた時に、記憶が引っ張られてあとを追ってきた。

1年以上前、私は東京にあるスパイラルという建物で「とことこふわり」という個展を見つけた。

その当時の恋人と、その絵を眺めて揺蕩うような感覚になった。ふわりとしたシャボン玉のような球が描かれ、スパイラルの螺旋に沿って掛けられていた。

卒業制作を控えていた私は、「揺蕩う」をカタチに出来ないものかと思い立ち、家に帰ってその時に浮かんでいた情動全てをこの下書きに書き留めていた。投稿していなくてよかったと思うくらい、恥ずかしくて、見せられたものではないので、世に出ることはないだろう。

なぜnoteだったか、それはいまひとつ覚えていないが、その時見ていた卒業制作の手引きや思考の変遷がnoteにたくさん溢れていたから、先達の真似をしたかったのだろうし、せっかくログインしたいい機会だと思って、さらには今も同じ動機で、次は修士制作に向けて書き連ねようとしている。



卒業制作や修士制作は身が削れる。
きっと「生み出すこと」を生業にしている人は少なくとも一度は感じるだろう。好きだったはずのものに、義務が生じることで自問自答が始まる。気がつけば競争・比較の対象にされる。単純につくることが楽しめなくなる。

今の私は、「生み出すこと」が好きではないのかもしれない。しかしいくらでも逃げ出せるのに、それをせずに修士まで来て、いつかは博士を取りたいと思うのは、きっと「生み出すこと」が好きだからだろう。

それを信じて、今日もなんとか生きているような気がする。



ああ、こんなことをしていると、また夜が更ける。朝が来る。
課題の続きに取り掛かろう。


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