喉を刺す記憶

何があったわけでもないのに、喪失感が消えない。

あるいは、何もなかったからだろうか。


かつて好きだった人との思い出。
いや、思い出と呼べるほどのものではないが、それでも私の記憶には深く刻まれている。

今でも鮮明に思い出せる。

その日は雨が降っていた。
私は確かにその人と会った。そして、その日は別れた。それだけ。

この、なんの変哲もない一日の記憶が、私の心を掴んで離そうとしないのである。
その日は、ただ、言葉を交わした。私は緊張していた。あなたは笑っていた。周囲に人はいたが、私たちは確かに二人きりだった。

楽しい一日だった。あなたが笑った瞬間に、時を止めたかった。あなたという輝きの雫を、その一瞬に留めておきたかった。

あるいは、その願いは叶ったのかもしれない。
私の記憶の中で、あなたは笑い続ける。老いることも、曇ることもない笑顔で私を見つめ続ける。永遠に。


楽しかった一日の、あなたの顔だけが欠落している。
切り取った写真のように、太陽にかかる雲のように、紙に落としたインクの染みのように。

顔を合わせたはずだった。視線を外してしまう癖を我慢して、あなたの笑顔を脳裏に焼き付けたはずだった。

今ではそれを思い出すことができない。


宙吊りになったままの恋情と、欠損したままの記憶。

それは喉に引っかかった小骨のように、私の嚥下を妨げる。
新たに抱いた恋情も、更新されていく記憶も、その小骨を経由し、ちくりと私の喉奥を突いていく。

この痛みはいつまで残るのだろうか。
過ぎ去った記憶を抱え込んだまま、私はどこまで漕いでいけるのだろうか。


あるいは、いつか転覆するその日に、あなたの顔を思い出せるだろうか。


それだけが私にとっての救済である。

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