思案

過剰なネガティブ思想、いわば卑屈な姿勢は自分のみならず周囲をも不幸にすると気付いた。私はネガティブな姿勢でモラトリアムを駆け抜けたので、この凝り固まった猫背のような思考パターンを矯正するのはなかなかに難しい。

卑屈な姿勢で生きてきたので気付かなかったが、最近になって、「卑屈な姿勢は客観的に見て不快」だと感じることが分かった。謙遜を超えた自己否定、低すぎる自己肯定感、他人への過剰な配慮。そんなものは不要だと思うようになってきた。

おそらく鬱が寛解してきたためだろう。
円滑なコミュニケーションや、楽しいコミュニティへの所属には、ある程度楽観的な姿勢が求められるのだと肌で感じる。矯正は容易なことではないが、するに越したことはない。その方が楽に生きられるしね。

モラトリアムの黄金時代を取り戻すことはできないが、これから黄金時代を築いていくことはできる……かもしれない。可能性はある。一応。


私は恋愛に過剰な期待を寄せすぎている。

「恋愛さえすれば/彼女さえできれば人生が楽しめるはずだ(=一発逆転できるはずだ)」という安易で非現実的な思考は、日常における行動パターンを麻痺させる。

この思考の落とし穴は、逆に言えば「恋愛しなければ逆転できない」という刷り込みを植え付ける点である。
恋愛していないから自分はダメだ、彼女がいないから自分はダメだ、という自己暗示に取り憑かれ、最終的には「恋愛していない自分はダメだが、ダメな自分を愛してくれる相手はいない」という負のループに入る。最悪の恋愛サーキュレーションかい。

卑屈で悲観的な人間は愛しにくいと思う。
何を言っても言葉の裏を考えたり、悪意ある解釈をしたり、常に最悪の自分を想定したりと、相手にしていてとても疲れるような思考パターンに呑まれてしまっているからだ。前の私がそういう人間だった。

ではどうすべきか。
一言で言えば、「観念的ループから抜け、現実に触れる」ことが効果的だったように思う。

先述した「負の恋愛サーキュレーション」には”現実”という観念が抜けている。
「恋愛できない⇒だから自分はダメ⇒ダメな自分は恋愛できない」という思考サイクルには、「ではどうするか」という現実的で具体的な思考が介入していない。つまり、頭の中でぐるぐると考え込んでいるだけで、思考が澱んでしまっているのだ。
澱んだ池に魚が住めないように、澱んだ思考に人は住めない。現状維持に次ぐ現状維持は、相対的な後退を意味する。周囲の人間は前進していることが多いので。

まあつまりは「自分はダメだ、ではどうしよう」という思考パターンを持ちましょうね、という自戒でした。

鬱が再び悪化しないよう、健全で健康的な生活に努めます。


「思案」と銘打った割にはおもろいこと書けなかった。
まあ自戒のための記事だからいいのだ。

寝ます。

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