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『スオミの話をしよう』の話をしようとしたらこうなった話

最近、エンタメ関係で音楽以外の事を書くとつい文句タラタラになってしまう傾向があるのは認めます。とはいえ、好きなものが何だか変な方向へ行ったように感じるからなんだけど。愛は持ってるからこそ、そうなるのだけど。と思っているのだけど。

前に、私は三谷幸喜のファンである事について書いた。
なので当然のように新作映画を観に行ったわけである。
正直、前作と前々作は全く笑えなくて鮮やかな着地感も得られず消化不良を起こしてたので、今回も期待し過ぎないようにしようと思って臨む。

で、結論から言うと期待し過ぎないで正解だったが、正解だということはそれはそれで悲しい。私的には前作よりはマシだったんだけど、コメディという割には殆ど笑えなかった。笑いだけが全てではないが、一応笑わせようとしてるのはわかるので、その点はイマイチだったというか。

役者は揃ってるし各自の演技もそれぞれ良いと思う。いつも当て書きをするだけあって個性に合ってると思う。
ある意味演技合戦を見るには楽しめるんだけど、それ以上のスパークするようなものを感じられなかった。


これは舞台なら断然面白かったと思う。レビュー読むと同じ事を言ってる人はとても多い。
実際、三谷はあえて舞台劇のような作りにしたと語っている。確かに長回しが多いのだが、それが映画として成功してるとは言い難い。
これまでもワンカットで撮る事を意識した作品は多いのだが、あまりにそういうことにこだわる為に良い結果に繋がらなかったのではないだろうか。

彼は脚本を書くにあたって「俳優◯◯さんが△△をする場面が見たくてその為にはどうしたらいいかというところから物語作りが始まる」と語っていて、過去作にはそれで上手くいった例もあったし、今回もまさにそれから始まっているのだが、よく出来てたとは思えない。

そして宣伝し過ぎ問題。
せめて前もってあまり色んな場面を見せない方が多少いい効果あったんじゃないか。とはいえプロットとしては意外性もなかった(こういう話なら誰が仕組んだかなんて予想がつく)し、もうひとひねりあるとまた違った印象があったのにと思う(どこをどうしたら、とかはわからないが)

三谷の得意とする物語は、大抵誰かのワガママで周囲が振り回される事によって起こるドタバタであるとか、主人公が見栄などから嘘をついてしまい取り繕おうとして起こる悲喜劇だったり、そのシチュエーションで笑わせてくれる。
そして最終的に何とか収まりを見せ、その時に感じるのは上手くいったというカタルシスや人情に訴えるささやかな感動だったりして、いい着地をする。こちらはそこに魅力を感じているのだ。
勿論全ての物語がそうではないけれど。

今回もスオミに振り回される男たちの話なので、そこら辺は踏襲してるんだけどね。
一番振り回されてる感の強い西島秀俊だが、振り回され方が緩いと感じた。匙加減次第ではもっと面白くなったのではないか。
多重人格の如くクルクル変わる長澤まさみの演技とそれに追随する宮澤エマは見事だったとは思うけれど。結局見せ場はそこだけ?みたいな。


うん、やはりこれは舞台劇であれば成功したんじゃないかな。
なんだったらテレビドラマでもいい。男たちが1話ごとに一人ずつ登場して、さてどうなる?な作りだったらまだ引き付けられたかも(そーいや『大豆田とわ子と三人の元夫』なんてドラマもあったよなぁ)

そしてラストにミュージカルシーンがあるくらいだから、いっそのこと全編ミュージカルなら乗れたんじゃないかな。

ともあれ映画としての出来は今ひとつだった。
繰り返すが私は三谷幸喜のファンである。


#スオミの話をしよう










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