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関西と北陸へ出かけてきました(6)~金沢から家路に

特急しらさぎ53号で福井から金沢へ向かいました。
北陸新幹線の高架が北陸新幹線に離れたり寄りついてきたりを繰りかえしていました。
芦原温泉、加賀温泉、小松と北陸新幹線の駅が設置される駅に停車して、白山市内にある新幹線の車両基地を横目に見つつ、松任を通過中に松任工場への引き込み線を見ました。
松任工場こと金沢総合車両所松任本所は北陸新幹線の敦賀延伸と同時に廃止されるそうです。
実際、その区間がJRから分離されますし(当該区間はIRいしかわ鉄道管理)。
国鉄時代からの名門工場とは言えオールドファンには寂しい限りでしょう。
問題は松任にいる人員。
IRいしかわ鉄道やあいの風とやま鉄道ないしは新設されるハピラインふくい(JRから分離される北陸本線の福井県内の運営会社)に転籍するか、自社内とすれば吹田や下関、後藤などに異動になるのでしょうね。

金沢に到着して乗ってきた列車が回送として出発していくのを待っていると、その向こうのホームに入線しているこれにヒトが殺到していました。

特急花嫁のれん。
金沢から和倉温泉の間を走っている観光列車です。
これを撮影する5分前は黒山の人だかりになっていました。
半分くらいは撮るだけで乗りません的な感じでしたが。
そしてしらさぎの回送列車の出発を見届けて改札階に降りてICOCAで出場しました。

ヒトだらけのコンコースを歩いて一目散に手荷物一時預かり所へ向かい手数料を払って荷物を預けてきました。
福井駅と違って金沢駅には一時預かり所がある事は知っていましたし、午後半ばに着いたら絶対にコインロッカーなんか満杯になってるのは火を見るより明らかでしたし。

そして在来線の券売機でPASMOにチャージして、続いて駅前のスタバへ行き、座席を確保してからレジに並んでスタバカードの金沢バージョンをお買い上げし、今使っているスタバカードにチャージをして、ドリンクの完成待ちの列を見て即座にできるドリップコーヒーを発注・・・という普通の客より手数の多いことをしていましたが。
ちなみに客層は東京よりインターナショナルで観光地化してるなぁと感じました。
で、ドリンク待ちの列を眺めつつドリップコーヒーを飲みながら下調べなどをして、店を辞して迷子になりながらもこちらに向かいました。

北陸鉄道浅野川線北鉄金沢駅。
改札が始まっていましたので、券売機で切符を買って入鋏していただいて構内に入ってこれに乗り込みました。

内灘行き03系。
見たことがあるヒトも多いであろう、元東京メトロ日比谷線の03系です。
金沢以外でも熊本や長野などでも走っています。
(長野の場合、03系の前に日比谷線を走っていた3000系も過去に在籍していましたが)
車内のアコモデーションは東京メトロ時代と変わりませんが、それ以外の大きな違いとしては運賃箱と整理券発行機、運賃表示器、車外にアンテナが設置されたことでしょうか。
あとパンダグラフもクラシカルな菱形でしたし、雪国を走るだけあってか、床下にはスノープラウも取り付けられていました。
数駅乗って降りて、これで北鉄金沢へ戻りました。

03系の日比谷線オリジナルカラーバージョン。
車内は同じでしたが。

で、乗車時に整理券を引きましたので北鉄金沢駅の窓口で精算しましたが、恐らく昭和時代の終盤に入社したであろう男性駅員がおつりを手荒く渡してきました。
やはり北陸鉄道だけあってなのか駅員の態度は横柄なんだなと感じました。
富山地方鉄道の電鉄富山駅のそれと言い、地方鉄道の駅員は悪い意味で期待を裏切らないなぁとも。
上信電鉄や上毛電気鉄道、秩父鉄道の駅員さんもここまでヒドくなかったですし。
あ、関東鉄道や新京成電鉄(私からすれば千葉を走る地方鉄道)は北陸鉄道や富山地方鉄道並みにヒドかったなぁ・・・。

そして金沢駅へ戻ると相変わらずヒトだらけでして。
とりあえず、金沢にきた証としてこれを。

もてなしドームと鼓門。
鼓門はヒトだらけでPhoto Shopでヒトを消さないと出せないくらい位でしたので、こちらにしました。
随分ともてなしドームもなじんできているように思います。

そして西口の前にある、「あるところ」に行った後、西口側の元ハートインのセブン-イレブンに行き、チャージと買い物をしてから、お土産屋へ。
北鉄金沢駅へ向かっている途中に一応立ち寄って目星を付けていましたので、それを買いながら追加の品を直感で買って、割と空いている方のレジ待ちの列に並び、精算時には手持ちのJALの3レターエコバッグに詰め込み、パンフレットを掴んで手荷物一時預かり所へ戻り、荷物を受け取ってから詰め直しをして、混み合うみどりの窓口とみどりの券売機の列を横目に眺めつつ、改札に向かいモバイルSuicaを改札にかざして新幹線側の構内に入ってこれに乗り込みました。

かがやき512号東京行き。
残念ながらE7系でして。
ホームドアの前に並んでいた所事前放送も無く突然ドアが開き車内に。
指定されたD席の上の棚に荷物を置いて素材撮影をして車内に戻るとE席に座る客がしれっと荷物を置いて出て行きました。
そして中田ヤスタカ氏作曲の発車チャイムとともに金沢を出発すると5分くらいしてE席の客が戻ってきました。
車内放送では全クラス満席という放送が流れていました。
富山に到着し、空いていた席も全て埋まり、その富山からデッキには地べたる確信犯もいました。
かがやきは全席指定である事は知っているはずですし、知らなかったという言い訳は通用しませんからね。
だとすれば後続のはくたかにでも乗れよって。

富山でほぼ席はフィックスしたようで、その富山から乗ってきた斜め前の3人連れの女性客は見るからに富山で同級生の結婚式があってその帰りです!見たいなていでずっと喋っていました。
知る限り富山を出発してから90分くらい会話は途切れませんでした。
他は静かでしたので浮いている感じでした。
女性って同士で集まるとよく喋るなぁと感心するやら呆れるやら・・・。

で列車が熊谷を通過したあたりで席を立ちドアの前にスタンバイしていました。
事前に車掌さんにどちら側のドアが開くかを確認した上で。
徐々に後ろに列ができる中、ニューシャトルが車窓から見えると共に列車が徐々に減速していき大宮へ到着しました。

ドアが開いたと当時に一目散でエスカレーターを下り、連絡改札でモバイルSuicaをかざして、埼京線のホームに降りて在線していた新宿行きに乗り込んで、乗換えを重ねて帰宅し、怒濤の2泊3日の旅は終わりました。

※まとめに続く。

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