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当たり前を疑うことの大切さ

すべてを疑え

私が大学で専門の授業を初めて受けた時の教授の言葉です。
物理学科だったので、その後は、物理公式をイチから証明していっただけなのですが(笑)
私にはなかなかインパクトのある言葉で、これまでの日常の違和感をすべて吹き飛ばすくらいには衝撃的でした。

教育に関しては、特に選択肢が限られていることもあって、いろいろ疑う余地がないのでしょう。


私は、子どもが嫌いだったので、良い母になれる自信なんて欠片もなかった
産む時も、産んだ後もしばらくは、「私が育てられなくても、姉も義妹もいるし!」と本気で思ってた。
(どちらも8才と6才の子どもがすでにいた)

産んだ後で、「あれ?この子、私が世話しないと死んじゃうんだわ」という、ある意味当たり前の事実に気付いて、色々調べはじめて。
ほんとに手当たり次第だった。
だって、退院後に初めての検診で病院に行くのに、赤ちゃんの外出用意って言われても、何がいるのかわからない。そして、実母でさえ、わかって当たり前だという態度なのだから!

それでも、保育園や学校は「そういうものだよね」という当たり前が、私自身、根強かったと思う。でも、あれ?というのはそこら中に転がっている。

まず私が違和感を覚えたのは、長女が保育園でお散歩に行く際のやり方。
いくつもの輪っかに、一人ずつ掴まって、みんなで歩いていく。
安全の為だと理解はできるが、不自然この上ない。

そして、園庭遊びから部屋に戻る時。
男の子から並んでー
みんな揃うまで待ってねー
そして、20人近くが全員並ぶまで待たされる光景
理解はできる。だって、部屋に戻ったら一人居ませんでした、ってわけにはいかないものね。
でも、その時間があればもっと遊べるんじゃ??と思ってしまう。

決定的におかしいと感じたのは、保育園の帰りに怪我の報告を受けた時のこと。

みんなで園外の○○公園に行くときに、手を繋いでいた子が走り出してしまって、引っ張られて転んでしまいました

擦り傷だし、大袈裟にするような話でもないし、「そんなこともありますよねー。お互い様ですから」で終わらせたのだけど、それって、うちの子が重石になったおかげで、その子は飛び出し事故にならずに済んだって話だよね?
そもそも手を繋ぐ相手って、先生が背の順で決めていて、強制なわけですよ。だから、相手が嫌いな子だったりすることもある。
実際、年長の時は、相手が嫌だって言っていた子を複数知っている。

こんなことは、あちこちの園で行われているし、いくつか見学に行っても、どこも大して変わらないと思っていた。


ところが、次女を入園させようとしたら、時期が悪くて同じ園には入れず、区役所から少し遠い保育園を紹介された。
正直断って、育休延長してもらおうかと思ったのだけど、その園は、まだ設立2年目で、系列の保育園に日曜だけ利用していたママが、子どもはそちらの園に行きたがると話していたので、行かせてみることにした。

そうしたら、少人数の保育園で一学年で、6人くらいしかおらず、クラスは縦割り制
私は縦割り保育というものそのものを知らなかった。
そこでは、園外の公園に行く時も、どこに行くかを子ども達と相談していた。そして、誰と手を繋ぐか、繋がないかも自由で、揉めたら話し合って決めていた。
なんでも、自然と大きい子が小さい子と手を繋いで行こうとするそうです。最初は先生が小さい子と手を繋いでフォローしながら行くからかな?

運動会の演目や、年度末の発表会でさえ、子ども達と話し合って決めていました

先生のフォローがあるとはいえ、6才未満で出来てしまうことなのです。
本来なら。

保育園、幼稚園はおろか、小学生、中学生でさえ、出来ない前提である今の教育と、親達の常識。一度疑ってみてはいかがでしょうか?


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