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傾聴>カウンセラーは鏡

ヨガ終了後、メンバーでお茶を手にテーブルを囲んだ。マインドフルネス瞑想をしている人たちだけあって、人の内面のありようをとても深く考えている方が多い。

その日欠席した人の話になった。その人の仕事はカウンセラーだそうで。皆さん曰く、彼はクライアントの邪気を受けて辛くなっているのかもしれない。手放せないでいるものがありすぎるのではなかと。

クライアントの悩みはその人の課題、自分で気づいて解決していくしかないのでは?聴き手は鏡になって、話し手の様子を映し出し、よく見て分かってもらうようなのがいいのでは?と言ってみた。

応えて、その通り、カウンセリングの教科書にも書いてある(その筋の資格保有者が多かった)。でも純粋に綺麗に映す鏡には中々なれないもので、カウンセリングは難しいとのこと。なるほどそうか…と、その時は思って帰って来たが…。

何となく引っ掛り、考えていた。鏡は綺麗で純粋でなければならないのだろうか。もしそうなら、誰にも出来ないような気もしている。自分がなりえる鏡を持ってして、何らかの対応をしていくしかないのでは?

もし歪んでいるなら、傾けてみたり方向を変えて映し出してみる。濁っていてクリアに映らない場合もあるけど、ぼやけてはっきり見えないほうが、心に沁みていき易いかもしれない。どういう風に見えたか尋ねてみたり、この鏡以外の鏡ならまた違ったように映るかもしれないと伝えてみたり、そんなやり取りが、また良いのではないかとも思った。ただ「正確に映し出す」とか「ボールを打ち返す」だけじゃない何かがあるのだろうか?話し易い気持ちにさせたり、結論は分かりませんが

いずれにせよ、相手の気持ちは受け入れて寄り添い、課題は鏡になって映し出したり、キャッチボールのように、ボールを直ちに返してみたりするのは確かなようだ。

聴き手は、話し手に巻き込まれないように、気をつける。でも多くの話し手は、巻き込みたい、巻き込まれて欲しいと思っているように感じる。自分に巻き込まれてくれる人を探して彷徨っているように感じる。その辺りをどう対応したらいいのか…?私はあなたの巻き込み相手にはなり得ないと伝えることになるのだけど、私には何もできないのだけれども、常に心に引っ掛ってっしまうのだ。

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