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マインドフルネス瞑想

「マインドフルネス」って、なんだろうって、興味を持ってから2年くらいたつ。なんのことやら?この山下良道老師の2冊で、やっとその言葉とご対面できた。それとともに、今まで胸につかえていたものがすっと抜け落ちた気がした。

「マインドフルネス×禅』の出版記念講演会が近くで開かれたので、足を運んでみた。本は中々読み進まなかったのだけれど、お話を聴いて、よく分かったきがした。内容は、こちらのnoteが、すごく分かりやすいので、ちょこっとお借りして

次の日に、お寺でマインドフルネス瞑想を体験しました。パーリ語のお経を上げて、その後ヨガをして坐ること何分だろう50分くらいかな…。老師の言う「UFO」は見れなかった。さすがに足が痛くなって、次の日は筋肉痛だった。

瞑想には、ヴィバッサナー瞑想とサマタ瞑想があるって、どこかで読んだ。アメリカなどで、仕事の能力が上がるとか、精神疾患の療法など、実践的なマインドフルネス(ヴィバッサナー)瞑想が一般的で、もとはブッダが悟りを開いたときの瞑想こそがヴィバッサナー瞑想で、仏教とは切っても切れないものだったそうだが。

「好き嫌い、良し悪しなどの価値判断を抜きにしてありのままに観察する」これがマインドフルネス。禅では、「坐ったら邪念を捨てて無心になる」をするそうだけれど、人間たるものそれはできないもので、やろうとすると、かえって苦しみが生まれてしまう。

いつもは呼吸に集中させるのだけれど、今回は肌感覚に集中してみたからかな、左手の平に何かを感じたのと、体がつぶつぶの集まりになって解けそうになったのは覚えてるけど、それだけだった。まだまだ体ができてないのか。5年くらいやってるという参加者は、まだ1度も見えてこないと言う。

全体を通して、山下良道老師の明るさが印象に残った。まともな僧侶というと何となくもの静かで何か煩悩と戦っています的なイメージだったけど、違っていました。講演中も、途中で何度も楽しそうに笑っていた。老師がテーラワーダ仏教やマインドフルネス瞑想を学ぼうと思った理由が、その筋の長老たちが、いつも上機嫌なところに惹かれたそうだ。

やっぱり上機嫌じゃないとね、マインドフルネスは、そう私は思っている。

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