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こころの絆創膏

書き留めたくなったこと。


右手や背中(手の届かないところ)に傷を負った時など、誰かに絆創膏を貼ってもらう。自分ひとりで出来ないから。

こころの傷はどうだろう。こちらはそもそも誰にも手が届かないところ。だけど誰かに絆創膏を貼ってほしくて彷徨い歩く。

絆創膏は応急処置。痛みが少し納まったり、流血が止まったりするだけ。

私は、傷に絆創膏を貼りたくて、色んな大きさ種類のものを用意して待っている。ここに辿り着いたこころの傷を見つけ、一番合った一枚を必死に選んで、時には2枚、3枚…、そっと当ててみる。

どんなに頑張っても、ぴったり合う一枚は見つからない。でも貼らずにはいられない。

絆創膏を貼った誰かのこころ、少し楽になって帰っていく。少しするとまたやってくる。絆創膏が剥がれてしまった傷口をおさえながら。

なぜ剥がれてしまうのだろうと考える。もしかしたら貼ってほしい人に貼ってもらわないと駄目なのかもしれない…。でもそれが叶わない、そんなこころがここにやってくるのだろう。

私はまた必死に一枚を選び、丁寧に当てる。こころは帰っていく。剥がれてまたやってくる。何度も何度も繰り返す。

誰かのこころの傷に絆創膏を貼る度に、私の方はこころの瘡蓋が、少しずつ剥がれ落ちて行くのを感じる。今日もまたちょっとだけ剥がれ落ちた。

いつまで続くのだろうか…。きっと死ぬまで続くんだ、その傷が消えてもまた新しい傷を負う。「傷つくこと」それはきっと「生きること」なんだろう。絆創膏は貼っても貼られても、その効用が「生きる」を助ける。

こんなことを考えながら、朝日の眩しさに素直になれないまま、帰りのバスに乗り込み眠りについた、昨日の朝、一日の始まりに。


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