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私の日常の中で-2-

「ピアノコンクール」、この非日常的なことが、日常になっていた8年間、今、思い起こせば何故あんなに夢中になっていたのだろうと思う。正確にいうと、コンペティターは息子で、私は付き添いです。

毎年3〜8月、バロック曲、古典曲、ロマン派、現代曲をそれぞれ1曲ずつ練習して仕上げます。予選、本選、全国大会と進んでいければ幸せですが、大体は、良くて本選止まりです。毎年親子で緊張していたなって今は笑い事ですが…。

昨夜まで読んでいた「蜜蜂と遠雷」恩田陸著 この小説はまさに「ピアノコンクール」の物語、引き込まれて一気に読みました。この小説のようだったら、ほんとコンクールも楽しいよな…、現実はもっとシビアで孤独。

息子はピアノが3度のメシより好きでほぼ毎日必ず弾く子どもでした。技巧派で譜読みも早く、どちらかと言えば良く弾ける方でした。でもこの世界、いわゆる「天才肌」というコンペティターには逆立ちしても勝てないと分かっています。しかも聴けばすぐにこの人だって分かる。自分は凡人と分かっていても、毎年必ず参加する顔ぶれはいつも同じで、演奏のタイプなども、お互いよく知っているのですが、ほぼ言葉をかわす事はないです。まず弾けるようになるまでが、練習に練習を重ねて大変なので、音楽を語る余裕ないのです。

この物語の3人の天才肌のコンペティターの天才ぶり、面白く読みました。共通点は「ピアノを自由自在に弾きこなせる。音感が秀でている」でしょうか。その能力にかぶさるようにそれぞれの個性があって.その個性を自由に表現することが許された世界です。いいなぁ…、この世の中、なかなか自分の個性を存分に出していいよなんてこと、滅多にないと思います。

もしどんな人にもその人なりの「天才」があるとしたら、それを極めていくことはきっと楽しいことじゃないかな…。だって上手くできるし、もっと工夫しようとか色々考える巡らす余裕もあります。

そこで思うのが、私はいったい何を持っているのだろうか…? なにかある筈なんだけど…と思いたい。この年にしてまだ見つかっていないのか、実は何もないのか…。気づけないままこの世を去るのだろうか…。

人より秀でた能力があってもなくても、私は風間塵のように無邪気に飄々と自由な心を持ちながら死ぬまで楽しく彷徨い続けたい、そう思って最後のページを閉じました。

コンペ時代は大変だったけど、ピアノ演奏を楽しめる耳ができたのだから、よかったと思う。息子も好きな曲を好きなだけ弾くことができる現在を楽しんでいるよに見える。これからもあの当時、一番大変だった息子に感謝しつつ、ピアノ演奏鑑賞を楽しませてもらいま〜す。

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