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記憶(ひとりごと)

最近これが、どうも上手く行かなくなってしまったようです。「記憶」学生のころ、記憶力がうんぬん、だから成績がうんぬんとか話していました。

最近は、酒を呑んで、記憶が飛んだとが、認知度が落ちて、思い出せないとか…微笑。

私の場合、昨年秋にやってしまった「くも膜下出血」の後遺症かもしれないらしく、認知検査をすることになりました。自覚症状としては、色々ありますが、他の原因もあるから、なんともいえませんね。ただ、あれから、頭のぼーっとした感じが抜けないのと、長い本が読めなくなりました。読めたとしても、最初のあたりの記憶がなくなったころに最後が読みおわる感じです。あとは、考えが纏まらない、集中できないのかな…。

先日、noteのコメ欄に、カラー映像の記憶が消せないと書いたことも思い出され、消えてしまう記憶、消せない記憶、消したい記憶、忘れたくない記憶、少し考えだしています。書きながら(^^:

そうか…、ちょっと前までは、こびりついてしまう記憶、刻まれてしまった記憶、なんてことを考えていたように思います。言葉の表現の違いだけど、どちらが先に出てくるかは、その時の状態をあらわしているような気がします。

5月から、月1のヨガセラピーの講座に通い始めました。全課程修了するとヨガセラピストとして、活動できる資格が得られるというものです。ヨガの教えを学ぶというのは、机上で分かればよいというものではないと思うので、この様な講座を受けるのはどうなんだろうと思いつつ。書籍も色々あって、読んてみたり、その資格をもつ講師のヨガクラスを受けてみたりしましたが、イマイチ掴めなく、多少身銭を切って行くか…と。

その中で、ヨガスートラの講義があちこちに出てきて、「記憶を滅する」が出て来ます。生きて来た時間の中で溜まってきた記憶が、私たちの心理作用の根になってるから、それを滅することで、その奥にある「真我」を観ることができる。純粋意識とも言うみたいです。(まだうる覚えですので、詳細は、書籍等でお確かめくださいね)

なるほど…、でもそんな簡単に消えないだろうと思われます。消す方法としては、瞑想があります。瞑想らしきことがやれるようになるまででも、結構時間がかかるのだから、それを体得していくには、かなりの年月が必要と思われます。

そんなことが出来るようになるのを待ったら、教える時間はなくなるでしょうね。師も道半ば、少し先を行ってる行者ということなのか…、月に一度の詰め込み講座で資格をとるってことをすればする程、こんなんで体得は不可能と知る、面白い矛盾(^^:

私の場合、心配しなくても記憶はきっと消えていくし、あまり記されないこれからだろうと、それも悪くないかと、もう自分の意志ではどうにもならないのだから、あれ? でも、今までも自分の意志でどうにかなったけ?どうにもなってないよね〜。笑 (^ ^)/

成績優秀な我が息子(バカ親)との会話で、

私「あんた、記憶力はいいよね。」

息子「私は海馬が丈夫にできているんです」

なるほど、丈夫ね…笑。

私の誰かに読んで欲しがった「ひとりごと」、読んでくたさったなら、有難き幸せ、つきあわせちゃったね、ちょこっとごめんなさい。m(_ _)m


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