日日是好日

お茶を点てること

先日、樹木希林さんが、逝ってしまいました。好きな女優さんだったので、残念です。ということは、この「日日是好日」が、最後のに演じた作ということになるのでしょうか。このお話は、初めてお茶を習う女の子がそのお稽古を通して、生活が変わっていったり、成長したりする様子を描いたものだと思います。と、まだ全部読み終えていませんが、まえがきだけで、私はもう十分嬉しくなってしまいました。

私も4年前からお茶を習っています。もとより型にはまったようなお稽古ごとは向いてないと思っていましたが、十数年前に買った古家の庭に、お茶室がもれなく付いてきて…。お稽古は苦手だけれど、お茶室そのものにはとっても興味があったので、このままの状態を残しておきたい、でもどう扱っていいものか、とりあえずお稽古にいってみるか、お抹茶と上生菓子食べれるしと、軽い気持ちで通い始めました。

最初、私の茶道のイメージは、「お金持ちの奥様の道楽」程度に思っていました。だって、お茶碗をはじめ、お抹茶、炭まで使う物がなんでも高値で、着物まできてかなきゃいけないのですから。

ところが、通いはじめると、その清々しい愉しさに魅せられていく自分がいました。全然違ってたのです。自然を愛でる、何でも大切に扱う、その時々の精一杯でもてなす心、などなど、とても気持ちのよい世界だったのです。

お道具もあるものでよく、飾る花は、季節感がある野の花でいいし、お茶がなければ白湯でもいいのです。その時の最善をつくしたおもてなしならば。と、先生自らの振る舞いを通して教えてくださる。けして押し付けたりしないのです。このあたりは、先生によると思いますが…。

>余分なものを削ぎ落とし、「自分では見えない自分の成長」を実感させてくれるのが「お茶」だ。最初は自分が何をしているのかさっぱりわけが分からない。或る日を堺に突然、視野が広がることろが、人生と重なる。

「まえがき」の中の一部です。お稽古はマニュアル的なものはないし、メモをとったりすることもしません。さらに、設えも、棚があったり、蓋があったり、夏は風炉で、冬は畳に穴があいてる炉になり、それぞれにやり方があります、毎回丸腰で炉の前に坐って、あとはなんとなくおぼろげに動き出すと、間違えて、先生が指示を出しはじめる。そして導かれるままにお点前をして終ります。この繰り返しです。

こんなんで身に付くはずがない、けどまっいいかと、通い続けて2年くらい過ぎたころには、突如、今日は流れるようにできたと言う日に出会うのです。できた!って思って、誰かに説明しようとすると全然できない、けど体は動く…、不思議な出来上がりです。

出来上がりではないのですが、道なかばです。何処まで行っても道なかばなんでしょうね。

>世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐにわからないもの」の2種類がある。すぐにわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリー二の「道」のように何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたものは、全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。「お茶」ってそういうものなのだ。

著者は、25年お稽古して、「おぼろげにわかる」と表現しています。先は長そうですね。

>生きにくい時代を生きる時、真っ暗闇の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。「長い目で、今を生きろ」と。

この文で「まえがき」が終わってます。身を預けて感じるままにぼちぼちだけど、歩いいていけるなら、行きつ戻りつする中で何かが見えてきたり、分かってきたりする時を楽しみに、今日も生きていくのだな…。(o^_^o)v

映画は、10月中旬から公開だと思います。樹木希林さん演じる「お茶の先生」、楽しみにしているところです。



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