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思っている以上に世界は優しく、残酷だ

親友が亡くなってから、数日後に記載・公開した記事はこちら

記事を読んだ友人からたくさんのご連絡いただきました。
支えてくれた皆さん、本当にありがとう

いろんな人とお話しして、価値観に触れて
時間が経つに連れて
自分にいろんな気持ちがあることに気がつきました

彼女が亡くなってから1週間後〜1ヶ月くらい

「本当に彼女はいないのか?あぁ、現実か」その繰り返しでした。
現実を直視できる日もあればそうではない日もあり
気持ちが振り子のようにビュンビュン触れていました。

「大切な人だから、居なくなって悲しいんだ」
「彼女と一緒に歳をとっていけないのが悲しいんだ」
「まだまだ一緒に笑いあってたかった」
そんな悲しさの中にいるのだと気がつきました。

まだまだかなしみたがる気持ちを許してあげてほしい
いつもの生活に戻れなくても、いまは頑張らなくても仕方ない。それだけ大切だったんだから。

友人にかけてもらった言葉に救われました。
この時期の記憶はあまりない

1ヶ月後〜2ヶ月後

「そろそろ元の自分にもどらなきゃ」
周りに心配をかけないように
彼女を心配させないように
早くいつもの自分に戻れるように 
重たい体に鞭を打って、がむしゃらに仕事をしていた気がする。頑張りたかったんだよな、

幸いにも仕事のメンバーは暖かい言葉をかけてくれた。無理をしないようにと、いつでも頼ってくれと声をかけてくれた。「実はこんな経験をしててね」と悲しい記憶の蓋を開けてくれた。そんな優しさに、早く恩返ししたいと思っていた。

ただある日、プツンと糸が切れたよう身体が重くなった。身体が鉛のように、動けなかった。
業務量の調整、家事を放棄することでゆっくり休む時間を作って「自分自身を癒す」を大切にした。

この時に何もできない自分を受け入れること、頑張らない自分もワタシと学んだ気がする。

この時期は苦しかった時間が長かった気がする

2ヶ月後〜(ここ1ヶ月)

自分自身を癒すを大切にし始めてから
心も体も元気になってきた

何もしない時間を過ごすことができるようになった
生きてるを実感するようになった
彼女に対して「悲しい」以外の感情を抱けるようになった

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長野に行った時、町のお盆お祭りに参加することになった準備中の一コマ
「じゃがいもでうまを作っています。今日はきっと、私たちが見えないお客さまがいらっしゃっているだろうから…その分の準備をしています」
はあ、彼女も帰ってきているんだろうかと思った時、「愛おしい人が帰ってくる」と思うと自然と笑うことができた。

まだまだ、悲しくて涙ほろりな日もあるのですが
「悲しいんだね、私。ちょっと休憩しようか。」と声をかけられる気がしています。

幼い頃からの、変わらないわたしの願い

「自分の大切な人は自分で守りたい」
「誰かの大切な人も守りたい」
これが私の人生の中の大きな軸で、看護師になったのも↑を叶えられそうと思ったからでした。

彼女が亡くなった時聞いた時
「あ、また大切な人を失ってしまった」
という悲しさ、虚無感、やるせなさに襲われました。

ただ、命というものはいつどのように消えてしまうかわからないものであり守るなんて烏滸がましいのかもしれないな。(でもチャレンジはしていく)

重ねて、改めて大切にして行きたいことは
日々幸せを感じながら生きていくこと
一緒のいる人と幸せを共有すること

「ああ、大人って楽しい」
「ああ、生きててよかった」

その瞬間に気がつけるような自分でいたい。

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今日は、湖のほとりでお昼寝したよ
土鍋で美味しく玄米が炊けたよ


こんな日常を大切にしていきたい
どれだけ、生きたいと願っていても
この世をさらないといけない事もある

こんな現実があることを小脇に抱えながら…

死ぬとは
私は「いつでも会えるという権利を手放すこと」だと思っている。
いつでも、誰にでも会える権利を行使して行こう。笑


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