20200228 花のある生活について

いまさらなにをというかもしれないが,花がある生活はよいものだ.
比喩ではなく,実際の花,生花である.

なぜだか,わたしはほとんど反射的に,よい,と感じている.

そもそも,なぜわたしの日常に花があるのか,というところを簡単に記す.
わたしは生花サブスクというべきサービスを利用している,月額1200円程度で一日一輪,花がもらえる.サービスの運営会社系列の花屋に,自分で受け取りにいくこと,という条件つきではあるが.
特にPR記事でもないので,ここで特定サービスのリンクなどは貼らないが,現時点で[生花 サブスク]で検索すると上位に表示されている.
わたしの場合は,職場と自宅が近く,職場と花屋が近く,つまりは自宅と花屋もそれなりに近い.ほぼ毎日受け取りに行けるという点でわたしにとって魅力的で,サービスを始めるに至った.

本題.

とりに行ける日は,花を受け取る.
毎日の花の種類はランダムで選択肢はないが,それが楽しみでもある.受け取った花は,だいたい会社と自宅に半々で生けられている.
受け取りは昼休みに行ったりするのだが,それがいい気分転換にもなる.散歩も好きだし.
おおよそ常に花瓶には1〜2輪ほど生けられており,メンテ作業も発生する.水の取り替え,花の取り替え,いうなれば雑務なのだが,それも楽しい.綺麗好きだからだろうか?

これらすべてを面倒だという人もいるだろう.そもそも生け花を見るのが苦手と云う人もいる(驚くべきことに).

だがしかしそれでも,無条件に,きれいなものが好きだ.清潔であることが,それがあることで空間が清潔に保たれることが好きである.

花が生けられた花瓶とほこりっぽい空間は似合わない.きれいなものはきれいのなかにあるべきだし,事実そうである.
すくなくともわたしはそんなちぐはぐな光景をみたことがない.

あるべきものがあるべきところにある,とまでは言わないまでも,ふさわしくないものをはねつける場の強さというものがある.それが大変好きである.

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