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なぜ、今Artなのか

ついに2020/01/01から始めた30日連続note執筆のラスト・30本目の記事です。これを書き切れば無事30日連続執筆を達成✨

昨年から急にArtにはまりだした僕ですが、その理由とArtを通して実現したいことを今回は書いていきます。

僕はアートをこのように定義しています。

世界を独自の視点で認識して、そのイメージを再構築して表現するもの

故にアーティストとは画家や音楽家といった役割だけにとどまらず、どのように生きるのか生き様そのものだと思っている。

時代背景:1億総アーティスト時代

「1億総アーティスト時代」になりつつある今。これはもちろん僕の言葉ではなく、近頃メディアや著名人の発信から良く耳にする言葉である。

テクノロジーの発展とともに論理性や再現性の価値は低くなる。自分の感性だからこそ導き出せるアウトプットに価値がつく。皆が作り手・表現者になっていく時代。 

というお話だと僕は解釈している。

AIを中心に機械が解決できる課題の範囲が広がる。言われたことを完全にこなせる人ではなく、アーティストとして新たな視点で物事を生み出せる人が台頭してくる。

つまり求められることは、答えを引き出す力(課題解決能力)よりも、正しい問いを立てること(課題設定)ができる洞察力とユニークな視点

独自の世界観で個人が熱狂して、個が作り手になる。仕事を遊びにできている人の影響価値がかなり高くなっていくと思う。

一方で皆が自分の感性の先にある仕事をするからといって、フリーランスになっていくというふうには思わない。組織の中にいてもVisionの置き処と心の自立性次第で、個性的な仕事はできる。会社(チーム)を通すことで社会に対する影響力はより大きくしやすいので、同じ方向を向く組織に属しながら自分にしか出せないアウトプットを個々人が行えることがもっとも社会的な生産性と豊かさが上がると思っている。

個人的には1億総アーティスト時代というか、もはや、77億総アーティスト時代になると思っている。

自分の話:Artをする理由

述べてきたように、今は「アーティストとして新たな視点で物事を生み出せる人」の価値が高くなると信じている。

しかし実際の僕は典型的な課題解決型人間で、超がつく計画・管理主義人間だった。2019年27歳の頃まで効率性と再現性を人生で1番大切にしてきたくらい。

実際にどれだけあらゆることを無駄とみなし制限してきたのかは、こちらの記事にまとめている。

そんな僕がこれまで無駄なものと切り捨ててきていたアートにハマリ出しました。僕がアートを始めた理由を紹介します。結果的に始めた理由を仮説通りかなり満たしていたので、ハマりました。

今回はアートのなかでも特に絵画鑑賞・絵を描くことにフォーカスしています。

大人になって初めて、キャンバスに絵を描いたときに得た感覚は、まさに19歳の頃人生初のバックパッカーでバンコクの地に降り立ったときと同じ感覚だったことを覚えています。あらゆる感性が研ぎ澄まされ、これまで意図的に設けていたリミッターが解き放される感じ。自由に生きて良いんだという感覚。バックパッカー世界の巨匠高橋歩さん風に言うとまさに脳内スパーク。

では、理由を3つにまとめて紹介していきます。

理由①:答えがないことに慣れる

これまで自分が基本としていた課題解決型のアプローチ。つまり、既に答えがあることを求めにいくこと。検索して整理すればできるアウトプット。

自分で問いを立てて、ダイナミックな視点を取り入れられるようになるには、まず答えがないことに慣れるから始めようと思った。

答えが1つに集約される数学的思考が好きな僕だったが、絵を描くことに合わせて哲学書も読むようになった。

理由②:マーケットドリブンではなく情熱ドリブンで動く

共感性が高いということはマーケターとしては良い部分でもあるが、一方でそれが新しいものを生みだすための足枷にもなっている。

`誰かが求めているから`といったマーケットドリブンではなく、`自分がこうしたい`からといった情熱ドリブンで動く。その自分の感性の先に導き出される答えを大切にする。

仕事の根本の思考を変えるためには、プライベートから変えていかなければいけない。故に僕は絵を描くときも、誰かのニーズに合わせるのではなく、自分の心の奥底と向き合いながら描くと決めている。

ビジネス世界でも徹底的なリサーチを反映させた商品は確実に売れやすいが、ホームラン級は出にくくなっている。破壊的イノベーションはリサーチからではなく人の情熱から生まれている。AppleのJobsや、AKBの秋元さんなど既存マーケットに合わせにいかない典型例。

理由③:社会に対しての「認識の幅」を広げる

冒頭で述べた僕のなかのアートの定義を改めて掲載。

世界を独自の視点で認識して、そのイメージを再構築して表現する。

つまり、「アーティスト自身が社会をどのように認識しているか」ということがそのまま作品に投影されている。物事の捉え方・視点が形になったものが作品。イノベーティブなアイディアを出せるかどうかは、まず自分の社会に対しての「認識の幅」を広げることから始まる。また幅を広げ、奥行きを深めていくことで、様々な人の感情をより解像度高く想像できるようになるだろう。

視野を広げ、あらゆる人と触れ合い実際に体験してみて、「認識の幅」を広げようと試みるが、「認識の幅」は目に見えない。そこで、アート作品は作り手の「認識」が投影されたものなので、自分の認識の仕方のよいマイルストーンになると思っている。自分の作品の変遷に、社会に対する向き合い方のアップデートを感じていけるのでは、と思っている。

アートにどういった次元のメッセージが含まれているかは、社会に対する当事者意識の違いの現れだと思う。「社会に対する当事者意識」が視座の高さに繋がるということはこちらの記事で解説しています。


アーティスト思考の追体験

僕が想うアートの魅力を語りたい。

僕はアートの中でも、絵を描くことにメインで没頭しているけどアーティストは画家だけではない。「世界に独自のフィルターで向き合い、自らの視点を作品に投影させている」人が全員アーティストだと思っている。素晴らしいビジネスを作り出した起業家もアーティスト。

僕自身最初は興味なかったアートにハマれるきっかけとなったのは、偉大なるアーティストの思考の追体験を始めたから。その時代背景・その人の主張を知ることで、同じ色使いでも解釈できる意味が広がっていく。作品を通してアーティストの思考の追体験をすることで、自分自身の新しい見方のきっかけが与えられる。

できるだけ自分が好きなアーティストに一次情報で触れてみたい。社会をどのように見て、何を想い、どんなイメージを作品に再構築しているのか。また何故そう想うのか。つまり、アーティストの生身の心。

現代アートの素晴らしさ

その時の社会性を投影し、文化を大きく変革させてきたルネサンス印象派も時代区分としては好きだが、個人的には、やはり現代アートが好き。

現代アートは視覚的な美しさで評価されるわけではない。故にアート作品の内側に含まれた思考の断層がより深まりやすくなっている。表現の制限がなくなったことにより、内側にさらなる上位概念のコンテクストを物語っている。またアーティスト個々による色が際立っている。

視覚的なインパクトはもとより強いが、背景や意味を知ることにより、結果的に視覚的に響くものがある。

自分のアートスタイル

そんな現代アートへの解釈を挟みつつ、自分の思い描くアートスタイルを最後に記したい。

絵を描き始めたが、いま自分は写実的な絵の上手さを追求したいわけではない。正直言うと現代においての「写実の価値」がわかっていない。精度の高い写真がある今、写実の価値とは。自分がその価値を嗜める感性がないだけなので、分かりにいきたいとは思う。

何より自分が写実的な絵の練習をしたところで、昔からやってきているプロと差別化した価値は出しづらいという戦略的逃避でもある。

自分は「見たものはそのまま書かない」という主義で行いたい。僕は感動体験を生み出すことにより「社会の心の豊かさ」の総和を引き上げたいと思っている。そんな人々の熱狂性を反映させた画風にしていきたい。

今後アーティスト個人が独自の文化圏をつくっていき、その文化圏の集合体は熱狂の渦を生み出しさらなる大きな影響力となっていくだろう。

一億総アーティスト時代は、何かを持っている人ではなく、独自の視点を通して何かに熱狂している人が注目される時代と僕は信じている。


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