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若い人を認めよう

よくきくあの台詞。最近の若い者は…というものについて、ちょっと考えてみたいと思う。

記録を遡ると2000年以上前からそんな記録があるらしいので、別に若い者に問題があるわけではないと思う。そもそも、次の世代が今ある世代よりも劣っているのであれば、文明は進歩しないはずだ。だから、最近の若い者は…というものは、若い者が前の世代に比べて劣っているという指摘ではない。

世の中は変化し続けている。だから、次の世代が育ってきた環境が前の世代が育ってきた環境とは異なるのは当然。だから、考え方も違ってしかるべき。その差が気に入らない人たちが最近の若い者は…と言っているような気がしている。

実は、先日、母校の研究室のゼミでちょっと学生(学部及び修士)に話をしてくる機会があった。その時の学生を見て思ったのは、自分が学生だった頃と今の学生は大して変わらないというものだった。もちろん、育ってきた土壌は違う。だから、考え方は異なる。でも、若いからこそ、わからないことが多い。年齢を重ねると度胸もついてくるが、若いうちはそうとも言えない。だから、考え方のベースは違うかもしれないが、それ以外のところは年齢相応だと感じた。

結局、自分と違うことが嫌なんだと思う。

年長者は、長い間生きてきて経験を積んできた。その経験は、その人を構成する骨格そのものだと思う。そして、それと違うものがあるという非常にシンプルなことであっても、自己を否定することになりかねないそれを受け入れることは容易ではない。自分の経験で判断できないことを無意識のうちに拒否しているのだ。だから、若い人を拒否するのだと思う。

長く生きれば生きるほど、色々な経験が積み上がる。その重さが大きいが故に、それを脅かすものを否定したくなるのだろう。

でも、高々50年程度の短い経験だ。人間の寿命と比べれば比率は高いが、人類の歴史を考えるとたいして長いわけでもない。

だから。

歳をとっただけ、自分自身が否定されることに対して寛容にならないといけない。

私はそう思っている。ちゃんと実践できているかはわからないが、それを意識することはとても大事だから。

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