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縮小する世界の中で

しばらくおやすみしてました

ちょっと体調が良くなくて、しばらく note の記事投稿だけでなく、色々な活動を控えていました。今日ぐらいからぼちぼち再開していくつもりです。

縮小する世界の中で

今日のテーマは縮小する世界の中でというものです。昔書いたような気がするのですが、土日は自由なことを書くという方針なので、今日はちょっと毛色の違う話を書きます。
私は別に経済学者でも何でもないのですが、私が思っている世界経済の縮小に関連することをちょろっと書いてみたいと思います。
なお、正しいことはちゃんとした学者さんがしっかりとした知見を元に考えていらっしゃると思いますので、基本的には私の note ではなく、そちらを見ることをお薦めします。この記事は、その辺の素人が思ったことを書き殴っているだけだという点はご了承いただければと思います。

人は富を求める

私の頭の中の大前提はこれです。人は富を求めます。そして、それは際限を知らない。人の欲望は無限であり、決して満たされることはありません。人はみな餓鬼道に落ちていると思っても差し支えないだろうと私は思っています。
そして、人は他人よりも良い暮らしを望みます。だからこそ、発展をしてきた問い事でもあるのでしょう。でも、それは常に良いことばかりではないと思っています。

世の中の富の総数が100だったとします。そして、その世界に住んでいる人が10人だったとしましょう。10人で10の富を分け合うことが出来れば平和なのですが、世の中そうはなっていません。人は、他人よりも良い暮らしを求めます。その結果として、富の被平等が発生します。

例えば、2人がそれぞれ20の富を持ったとしましょう。すると、残りの8人で60の富を分配する。まぁ、適当に丸めると残りの人たちの富は一人あたり7.5です。そして、これが今の世の中です。

この不平等を何とかするため、色々なことをやってきました。今は税金などで聴取したお金を再分配するのが一番メジャーな方法でしょうかね。累進課税はここで効きます。そうやって集めた富は、万人に利益のある社会インフラなどに回し、何とか平等に近づけていきます。
でも、富の再分配だけではどうにもならない。この差が埋まるほどの再分配はかなり難しい話になります。

労働は富を生み出すが労働はしたくない

だから、みんなが等しく働けば良いのでは?と思うかもしれません。でも、実際そうではないことは皆さん身にしみてわかっているところです。
前の例で行くと100の富を生み出すため、全員が10の富を生み出す仕事をすれば良いというのがとてもシンプルな解です。ですが、基本的に人は労働を嫌う。もちろん、例外もいますが、不労所得という言葉に憧れるぐらいにみんな労働が嫌いです。

さて、こんな状態で起きることは、労働を他人に任せて、その分の富をかすめ取るということです。資本家と労働者の関係みたいなもんです。
富を独占している人は、富を生み出す仕事も独占していると考えましょう。そうでなければ富の独占を維持することは出来ないので。
次にやることは、自分の富(=20)を他人の労働力で得ることです。これは、仕事を独占しているからこそ出来ることです。4人に合計50の富を生み出す仕事をさせるのです。そして、それぞれの人から5の富を奪う。これで自分の富20を確保するわけです。残りの30が労働者への報酬として支払われます。一人一人は10ではなく12.5の富を生み出す仕事をする…まぁ、仕事量は増えます。でも、それで富を得ることが出来る。つまり何とか生きていけるわけです。一方、20の富を持っている人は仕事を独占している利点を利用し、働かずして富を得る。

こうやって、前に書いた富の偏りが維持されている。そう考えています。

不平等でも何とかなっていた理由

単純です。世界の富の総量が増えていたからです。例えば、世界の富の総量が100から200に増えたとしましょう。すると、労働者側の得られる富は7.5から15に増えます。100の頃の富裕層には及びませんが、平等に分けたケースよりも確実に富を得ることが出来る。将来に希望が持てるからもうちょっと我慢しようかな?なんて思う。
だから、結構理不尽な社会でも何とか頑張ってきたわけです。

でも、世界の富の総量は増えなくなってきたみたいです。すると、次の問題が起きます。

富の総量が半分になっても裕福になる方法

これは、人の数を減らせば良いのです。例えば、富の総量が50に減っても20の富を得たいなら、富裕層もそうでない層もまとめて口減らしをすれば良い。
たとえば、5人に減らすことで、富を20独占する人と、7.5の富を得る人という構図は維持できます。

今、これが世界中で起きているのかな?と思っています。

日本に限らず、ヨーロッパの国でも出生率の低下が問題となっています。中国は制限をひたすら緩めていますが、人口減少はどうにもならない状況です。

結局、貧乏になりたくないのです。富が得たいのです。そのために一番やりやすい方法が世界規模で実施されているだけなんだろうなと私は思っています。

他の方法

富の総量をむりやり100にするという方法もあります。これをやる一番手っ取り早い方法が侵略ですね。だから、人口が増えすぎて富が足りなくなると戦争が起きる。そして、安いお金で働く人が増えたら、仕事を独占している層の利益が増える。楽ですね。だからこそ、あちこちで争いが続いてきたと何となく思っています。

だとすると、富の総量が増えなくなってきた現在、人口減少による富の減少分のカバー、もしくは自分以外のところの富を奪いに行くという動きは強くなってしかるべきでしょう。多分、どっちもこれから先に直面する課題になるはずです。

AI は救世主となり得るか?

もし、AIが低賃金で働く労働力になるのであれば、もしかすると縮小する富に歯止めを掛けることが出来るかもしれません。
でも、よく考えてください。AIに仕事を与えているのは、仕事を独占している人たちです。だから、AIが生み出す富は当然その人たちのところに行きます。AIに払う給与は、多分、人間に払うそれよりも少ないはずです。これは、さらなる貧富の差を生み出す要因になる可能性がとても高いと思います。そして、だからこそ、AIは救世主にはならないのです。AIが生み出した富が分配できないのであれば、不公平を増やすだけのものにしかなりません。

たとえ話は終わり

現実世界に戻りましょう。

今までの富の拡大する世界は、ゲームとしてはかなりのイージーモードでした。失敗する可能性ももちろんあるけど、何だかんだ言っても富が増えているので、何らかの形で富を得ることが出来ていたのです。会社はほったらかしていても大きくなります。マーケットも特に何もしなくても大きくなります。だからこそ、そういう世界では市場の占有率を上げることに意味があります。この率が多ければ多いほど、富の増加に伴う得られる富の量の増加割合も増えますから。

でも、これからは富が縮小する社会です。

富が縮小する社会では、市場占有率が高くても、なんだったら市場を独占していても売上は常に下がっていきます。富が減っているのでしょうがないのです。そして、こんな世界では、富が増えているときの戦略がなり立つわけがない。だから、切り替えが出来ない企業から順次没落していきます。大企業は方針を変えることが難しいですし、給料を払わないといけない人の数も多い。だから、富が縮小したら給料を減らすかリストラで口減らしをしないとあっという間に赤字に転落してしまう。そして、給料を減らす一環でのコストダウンはもはや限界に来ている。危ない状況なのではないかと思います。

縮小する社会での戦略は負けることが決定している戦いで、如何に被害を少なくするかというかなり難しい課題と向き合うことでもあります。かなり厳しいと言わざるを得ません。

少なくとも口減らしもしくは他社の市場を奪うという不毛な戦略とは違う、現状を打開する新しい戦略を考えないといけないのです。私には、それがなんだかはさっぱりわかりません。また、これ以外の方法もとくに見当たらないことを考えるとかなり難しい課題なんでしょうね…

危機感を持ちましょう

危機感を持ったところで大して役に立たないのですが、持たない人よりは先に進むことは出来ます。この差ぐらいしかアドバンテージを得る方法が見当たらないのが悲しいところです。

この手の話をすると、大抵の人は嫌がります。その理由についても見当はつくのですが、それを書くと文章量がたまらないので今日は書くのを控えたいと思います。

今までの世の中がイージーモードというかボーナスステージだったと思うべきでしょう。イージーモードで得られた教訓は、もはや役に立たないという時代はもうすぐそこまで来ている。そう思うのです。

おわりに

みんなで貧しくなれば良いというのは実現性に乏しい理想論だと思っています。また、自由にやりすぎてもいけない。これは、世界規模での壮大な実験の結果を踏まえればわかります。人は際限なくサボるし際限なく富を求める。これはどうにもならんのです。

富が増えない状況は、そもそもあんまり経験もないと思うので、世の中は混乱していくと思います。
ま、その混乱が本格化する前に私はこの世から退場しているでしょう。でも、やっぱり気にはなります。

難しい世の中になりますね…

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