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聞くことの善し悪し

はじめに

今日は、最近思う事をなんか書いてみたいと思います。
それは、ずっと昔からある質問についてのこと。
なんというか、ずっとすっきりしない問題でもあるので。

わからないことは質問すべき?

建前としてよく言われることです。わからなかったら質問しろよって言われますよね。じゃあ、質問すれば良いよね?って思うけど、実のところそうとも言えない状況もあります。

質問すると怒られることがある。

正直、全ての質問に答えられる人はいないし、何でもかんでも質問されるとそれはそれで問題になります。だから、それぐらいは自分で調べろ!なんて言われたりします。

でも、境目がどこにあるのか?ってことは実のところさっぱりわからないですよね。だから、質問するということは、正直この辺の空気を読むという高度なスキルを活用する必要があったりします。

例えば

マニュアルに書いてあるだろ!なんて怒る人が居ます。そりゃ、書いてあるよ。どこかに。
私は未だに .net のアプリを書くときにマニュアルを見ますが、マニュアルを目を皿のようにして眺めてみてもさっぱりわからないことが多いのが現状です。
1のことを知りたいのに10調べて目的の知識にリーチできればラッキーなんてことは余りにも当たり前すぎという状況なのですが、こんな状況でマニュアル読めとか言われても正直無理ですよね。

もちろん、マニュアルにわかりやすく書いてあることもあります。でも、そんなケースはとても運が良いときだけで、基本はマニュアルなんか見たところでわかるもんじゃない。
ちなみに、このマニュアルのわかりにくさは、国は関係ないみたいです。質問サイトとかみていると、色々な言語で、似たように悩んで、似たように質問して、似たように怒られています。
もう、これはどこかに構造的な問題があるとしか思えないんですよね…

まぁ、最近は LLM があるので

そっちに質問すりゃいーじゃんという流れが出来てくるかなーとは思っています。何せ、何回質問しても怒られない。
とはいえ、私は良くプログラムのエグい問題をChatGPTに聞きに行くんですが、まぁ、大抵嘘の回答になります。サンプルコードも動いたためしがない…まぁ、質問内容がかなりエグいのでしょうがないのかなーという気もしています。だから、質問した後、それをキーワードとして更にマニュアルを調べ、StackOverflow を調べ、更に google で調べ…ということを繰り返し、何とかゴールにたどり着くというのが私の最近の不明点調査の流れです。

私のやっている流れは多分当面の間はなくならない

LLM は便利だけど、AI の特徴をしっかりと持っています。だから、知らないところはすげー適当に回答します。で、世の中、全ての質問に回答できるマニュアルなんてものはないので、回答が適当である可能性は0にはならないと考えています。だから、私のやっている流れをやらなくても良いという期待は、今の時点では抱けないんのです。

となるとマニュアルを調べるスキルは当面必要になる

残念ですが。マニュアルとかあちこちを調べて必要な事を推測する技術ってのはまだまだ必要です。なんで推測?という話ですが、欲しい情報がズバリ書いてあるケースが稀である以上、書いてある内容から自分にとって必要な情報を推測(類推)するスキルはどうしても必要なのです。

LLMが作る将来はともかく現状はどうなの?

当面は、識者に聞く必要があります。私もMSの質問サイトに質問書いたことありますが、なんか不機嫌な回答が帰って来た記憶があります。英語なのでニュアンス誤解しているかもしれませんが。
まぁ、質問は難しいんです。でも、どこ見てもわからないなら、質問するしかないのです。

よく言われることはこんなところです。

  • 15分悩んでもわかんなかったら質問しろ

  • 同じことを何度も質問するな

  • マニュアルは調べたのか?

まぁ、反論としてはこんなところ。

  • 15分ではろくに調べられない
    →マニュアルは調べたのか?と怒られる。

  • 同じことを何度も質問するな
    →1回の質問で理解できるような回答をもらっていない。

  • マニュアルは調べたのか?
    →大量のマニュアルのどこを調べて良いのかわからない。むしろ、空振りばかりで精神的にかなり辛い。

正直、質問する法のマナーもよくないなと思うことは多々あります。自分にわかるような回答をしろなんて高圧的な態度で質問してくるやつとかもいますし。あと、質問内容が漠然としていて、エスパーでもないと答えることは不可能なんてケースも本当によく見ます。あと、質問側に知識がないから質問内容がどうにもわからないなんてこともある。なんか、そこを質問する前にやることあるよね?みたいな感想を持つ質問もいっぱいある。

一方。質問に対する解答をみていると質問されたことにのみ回答するケースが目立つ。うん、なんでそうなったかを理解させようとしないから似たような質問を何度もしてくるよね。だから、同じ質問を…って事になるんだよ?とか思ったりすることもしばしば。もちろん、解答をすること自体がかなりの負荷になるんでそうやりたくなることもすごくよくわかる。そして、教えて君の対応を続けていると嫌になっちゃってこういう解答をやりがちになることもすごくよくわかる。

そりゃ、敵対関係にもなるよね。で、敵対関係になるから質問自体やりにくくなる悪循環。もう、人を育てるとかそういうことを考える以前の問題だなーって思います。

結局は、聞く・教えるのコストの問題かもしれない。

聞く人も教える人もローコストでやろうとするからこうなると思うんですよ。質問する側は相手の時間を奪っている相手にコストの負担を強いていることを理解すべき。また、教える側はコストがかかっていることをちゃんと聞く人に伝えないといけない。どっちも出来ていないんですよね…しかも、低コストで聞きたいの呪いは強いらしく、質問側がコストを負担すると金を払ったんだからもっとしっかり教えろとか言い始める。いや、金額に見合ったサービスって意識とかそういうものも重要ですよ。

なんかもう、このコストだと100文字以内の解答で、もっと詳しいことを聞きたかったらもうちょっとコストを負担するとか、サンプルコードは1行あたりのコストはいくらとか、その辺を明らかにしていくべき何だろうなーって思うのですよ。てか、コスト意識の低さがそもそもの問題だったりするところもあるんで。

LLM で明るい未来になるのか?

なんとなく、LLM は低コストで回答してくれるんで、それと同じものを要求してくる未来が見えるんですよね。で、質問内容は LLM で十分な回答が得られなかったケース。
うーん、それは LLM で無理だったんだから相応のコストを負担してしかるべきでは?ときっと思う事になると思うけど、質問する人は人間もLLMも同じとしか思わないような気がする。だから、地獄は解消されない。

結局、LLM 入れたところでコストの問題が消えるわけじゃない。コストの計算方法がちょっと変わるけど、コストが0になるわけでは決してないんですよね。

もしかすると、そのうちに LLM が無茶苦茶賢くなって人が回答することがなくなるかも知れない。でも、そうなると LLM 側のコストも結構でかくなっていると思うんで、ChatGPT の API トークンみたいな仕組みを大々的に導入しないとどうにもならなくなる。すると、そのコストを払いたくない人たちがまた人間に質問を始めて振り出しに戻る…これ、悲観的すぎますかね?私はすごくありそうな気がして仕方がないのですよ。

というわけで、最後にまとめみたいな話。

聞くことの善し悪しということで書きましたが、聞くことの是非ではなく、聞くことについてもコストについて考えましょうというのが私の意見です。
そうしないと、ずるいことをする人が出てくる。さしあたり、ずるいことへの対策として一番良さそうなのがコストだと私は思うのです。

ま、みんながズルせずに互いを尊重していれば何の問題もないんですけどね。残念ながら、そんな事を期待すると辛い目に遭うことが長い人生でわかってきたんで。

今日はここまで。

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