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オンリーライフ

夜だ、夜は文章が頭の中に浮かぶ時間だ。
ちゅうことで書いてみる。イヤホンからは古川本舗が流れてる。
しかしイヤホンてのは耳が蒸れるな、蒸れずに音質よく、この「こっそり感」というか、「集中!」な感じで音楽を聴ける方法は無いもんかな。

まぁいいや。書こう。このノートの題名、「オンリーライフ」という事について。

「ただ〜が〜した」という文章の形式をいつも頭の中に用意しておくようにしている。
自分の身に何かが起きたとする。例えば好きな人に告ってフラれた……

ガーン! となる、なるだろうなおそらくは。

ところがしかし、さっきの構文に当てはめて、
「ただ好きな人に交際したいと伝えて、断られた」と頭の中で書きつけてみる。
こうすると、出来事から感情、「心の動き」が切り離されてそれぞれが独立する。
(いつもそうじゃない。苦しみを苦しみとして消費したくないからこういう事をつとめてやってるだけだ。俺も人間だ)

このやり方を常時引っ提げて生きる人生のことを、「オンリーライフ」と呼んでいる。

ただねぇ、無用な感情に振り回されない理想的な生き方に思えるかもでしょうけど。これがなかなか難しい。
いつも気をつけて、いちいち確認しながら生きてかなきゃいけない。人って忙しいからよ、ふっと気を抜くと変な気持ちやら過去のクソボケな思い出が日常にぬるっと入り込んでくる。
そうなるな!気をつけろよ。

さぁ今、世界を、日々を、生活を分解してみよう。
時計は組み合わさるから時間を刻む、
時間を刻むから、時間が刻まれるから、焦りや後悔が発生する。
歯車といくつかの金属に分解して、ゆっくりと絹のクロスが掛かった作業台の上に一つずつ並べてみろ。
心の全てもその傍に、元が何だったか分からないくらい小さく分解されて並べられているはずだ。

こんなに心が肥大している動物は人間くらいだ。心自身が心を持つ、ミルフィーユ構造が織りなす幻想に囚われてはいかんのだ。
エポケー、判断停止、アラユルコト二ジブンノカンジョウヲイレズニ(引用からの改変)
さぁ分解しよう、分解しよう。
ただ風が吹いた。
ただトマトを口に入れた。
ただコップを割った。

ただ買い物に行った

ただ砂浜を歩いた

ただ誕生日を迎えた

ただ友達が自殺した

ただ枕に髪の毛が付いた

ただ餃子を焦がした

ただギターの弦を替えた

ただまた風が吹いた。




これって「人の人生」なんだろうか?

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