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僕らと僕らのいるこの場所について

あるひとつの文章を読んで。

フリーランスの作家っていうのは交友関係が狭い。
人間を描くために、誰よりも人間について熟知していなくてはいけない職業(と、いう面も、人によってはある。絶対そうじゃなきゃいけないわけじゃないよ)なのに、日常で関わりのある人間は、家族か、公共施設のスタッフくらい。
インターネットの関係は、スマホを閉じれば消えて無くなる。死ぬまで会わないなら死んでるのと同じだ。

作家とか名乗る前から、一人の人として寂しがりな性分だし、作家になって孤独が深まればそれは尚更だ。
そんな時にnoteを見つけた。
みんなが自分の気持ちや心を、それがちゃんと伝わる文章で、しかもかなり読みやすく書いている。
それらを通して僕は、自分の精神に巻き付いた孤立の縄をほどいて今こうして、割と好き勝手にここ、noteという居場所を歩き回っている。

僕がnoteで、記事を通してすれ違った誰かを急にフォローしたりするのは、あんま特に深い意味は無い。
Twitterも、突き詰めれば同じようなもんだと思う。
人間誰でも、逆立ちして体を揺すれば、面白い話や味の濃い思い出の一つや二つ出てくる。これはマジだ。誰でもそう。本気で。
だから、そういうのを文章にして読めるのは、(言い方で誤解を生むかもしれないが)面白い。
不完全なコミュニケーションかもしれないが、(完全なコミュニケーションって何だよ?)ここでの文章を通して僕は孤独を癒し、更にもっと言えば、そうして薬にした誰かの思い出を、作家として自分の心に仕舞いもする。
それは僕自身も預かり知らぬところで、自分の作品にひょっこり顔を出したりする。(自分で体験したことじゃないと実感と責任を持てないので、たぶん滅多には無いけど。)

だから、そう。えっと…何を言いたいのかと言うと。
みなさま、あまり身構えないでくださいね。僕は変なものをいたずらに描いている変わりもんの兄ちゃんで、そういう人がダル絡みしてきてるだけなのでね…
もしこういう謙った、大切にしているような言い方が気に入らないのであれば…

あんた方は俺の作品の材料になるのだ!どうだ怖いだろ!うわははは!!

おわり
(月末までになんか書けと運営に脅されたので書いた)

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