あらすじ&プロローグ 〜ジキル&ハイド&シーク〜

あらすじ


新米教師の香椎かしい紅葉くれはは、通勤途中の電車内で痴漢の現場を目撃した。訝しむ彼女に気づいた犯人は、標的を変えて迫ってくるが、偶然乗車していた刑事の介入により逮捕され、紅葉の身は無事に済んだ。
その後の事情聴取に付き合っていたため始業式が終わってしまい、校長に説教されるものの、副担任である紅葉が受け持つクラスのイケメン担任教師がそれを諌める。
教室に案内される道中、紅葉は彼の秘密に気づいてしまい、到着後に椅子に拘束されてしまう。
必死な彼女を見て不敵に笑う彼は正体を明かした。
怪盗ハイド──その目的や如何に。
これは青春と狂騒が交錯する、学園×怪盗狂想曲!

プロローグ

深夜の教室に、ただならぬ緊張の糸が張り詰められ、手足の指先一つ動かすことを躊躇うほどに、彼女の精神は極限まで追い詰められていた。

彼女は、この教室を任された教師である。
普段ならヤンチャな男子生徒の少々下品な言葉や、真面目に勉強に取り組む女子生徒の的を得た質問などが飛び交う活気に溢れる部屋であるが、今だけはまるで刑事ドラマで見たような尋問室……あるいは冷たく薄暗い監獄のごとき澱んだ空気に包まれていた。

そう感じられるのも無理はない。
教師である自分を、囚人を窘める看守のような目で見つめる人物が、今立っている教壇を挟んだ目と鼻の先にいるからだ。彼女は自分にそう言い聞かせる。

その人物が、刃物か鈍器で武装していて、あからさまな臨戦態勢でいたならば、教壇の陰に隠し持っている拳銃で急所を撃ち抜いていただろう。
だが相手は、あろうことか教え子である女子生徒だ。考えないようにしていた理性のストッパーが、射撃による断罪をすんでのところで否定する。

「あはっ、ねぇせんせっ。自分の教え子に痛ぶられる気分はどうかなぁあ? さぞかし心地いい気持ちに包まれてるはずだよねぇえ」
「ケッ! 言ってくれるじゃねぇかバケモンがよぉ。アタイの気持ちなんざ分かりゃしねぇくせによぉ!」

語尾のアクセントがU字に下がって上がる、特徴的な喋り方が女子生徒の個性だが、それが今は不協和音に聴こえるほど耳障りに感じられる。
煽られていると分かってはいるが、性根の悪い教師の言葉は自然と語調を荒らげていく。

「それによぉ、もうてめぇの三文芝居に付き合うのは飽きたんだよ! てめぇが死ぬのが先か、アタイが死ぬのが先か…………勝負だ!」
「ふぅん、出来るものならやってみてよぉせんせっ」

女子生徒は教壇に前のめりになり、更に教師を煽動する。
ニマッと真っ白な歯を見せつけるようにした無邪気な笑顔が、教師の堪忍袋の緒を切らした。

「はぁぁぁあああああああああああああっ!」

女子生徒の眉間に照準を定めた銃口からは────一輪の花が咲き誇った。

「カットぉぉおおおおおおおっ!」

爽やかな声色の嬉々とした旋律が、黒いカーテンを閉め切った教室に響き渡る。
その声を合図として、教師は盛大な溜息を吐きながら膝からその場に崩れ落ち、女子生徒は冷や汗だらけの青い顔で股間に手を添えた。
二者がそれぞれ疲労と苦悶の表情を浮かべる中、声を上げた男性の興奮は冷めやらない。

「オッケーオッケー! 二人とも協力どうも! 後は一分くらいに編集して完成だ! いやー上出来だよ香椎先生! 君は本当に演技初心者かい? 度胸と役への向き合い方は大女優のそれだよ! それに小林こばやし君、相変わらず君の変装術は素晴らしい! その技術だけなら、教えた僕なんかとうに越している! 先生としても鼻が高いよ!」
「「…………」」

沈黙。
褒め殺しに匹敵するほどの大絶賛だが、今の二人には馬耳東風。構っていられる程の余裕はない。
微動だにしない様を見せつけられては、さすがの彼も空気を────読まなかった。
否、読めなかった。

「ヘイ! いつまで床にうずくまってんだyo、ボーイズアンドガールズ? さすがの僕ちんもこれには激おこ────」
「うるさい。騒がしい。騒々しい。死ね」
「────激萎えヘコヘコ丸です……生きててすみません……」

背後に現れた女子生徒に、出席簿を綴じた硬い部分で、後頭部を木魚のように一定のリズムで叩かれたことで、男性はようやく落ち着いた。
素で百八十センチメートルを超えていそうな背丈の大人が、三分の一程度の大きさにまで縮こまって廊下に転がっていく様を、叩いた女子生徒は歯牙にもかけず、教壇にいる教師へと歩み寄る。

「香椎先生、大丈夫ですか? 今変装を剥がしますね」
「……頼むわ、入倉いりくらさん」

先程までの粗野な語調は何処へやら、声こそ同じだが、一転して落ち着いた雰囲気に包まれている女教師。
女子生徒は、三白眼のつり目をした気難しそうな教師の顔を、垂れ下がった長い金髪ごと鷲掴みにして引き剥がすと、その下から別人の顔が姿を見せた。

腰まで届いていた金髪のカツラほどは長くないが、それでも肩まで届く長さの茶髪。
つぶらで大きいが、片目だけカラーコンタクトが外れていておかしな事になっている瞳。
そして、実年齢こそ立派な成人だが、制服を着ていたら高校生でも押し通せそうなほど幼い顔立ち。

首から上が別人に変わったためか、彼女が着ているボロボロの白衣やスカート、伝線したストッキングの下の血合いだらけの脚などが、途端にハロウィンの仮装パーティーを彷彿とさせる。
倒錯的な自分の姿を気にも留めず、変装で付けていたマスクを受け取って立ち上がると、女教師────香椎紅葉はそれを教壇に置いて、改めて振り返るように見つめていた。

「私がこの顔になっていただなんて……本当に信じられない。鏡で見た第一印象で適当に演技しちゃったけど、これで良かったのかな……?」
「それで良いんですよ先生。コスプレするにしたって、誰もが知ってる有名なキャラクターなんかより、自分しか知らない無名なキャラクターの方が好き勝手に肉付けできますから。実際、ボクはその方がやりやすいです」

頭に疑問符を浮かべる紅葉の白衣を預かって、丁寧に折り畳みながら女子生徒────入倉米花べいかは答えた。
それを近くの机に置くと、流れるような無音の歩みで紅葉に向かい合うように立ち、足元にある物を強く踏み締める。

「それに比べて、貴様というやつは…………!」
「い、痛い痛い痛いっ! ちょっ、おまっ、膝がっ! 膝が踏まれてるんですけど!? ねぇ俺立てないんだけど!? 早くっ! どいてっ! くれっ!」
「立つな。起きるな。一生寝てろ。死ね」
「男の娘に対して辛辣すぎない!?」
「『子』の字を履き違えるな。杯戸はいど先生と一緒にするな。でも死ね。二人して死ね」
「どの道死ぬぅ!」

瞳孔が全開になるほど汗だくの表情を浮かべている女子…………ではなく男子生徒。
ツーサイドアップで纏めた黒髪だが、インナーカラーとしてピンク色に染髪している。
膝上丈のスカートを含む制服を着こなしているが、その見かけは誰が見ても女子だと思うだろう。
今でこそ変声期を終えた思春期男子高校生らしい男声だが、演技中の彼の声は女声にしか聞こえない完成度。
化粧の細かさも、うなじや手首から漂う香水の匂いも、一挙手一投足のしぐさをとっても、何もかもが本当の性別を誤認させる。

「い、入倉さん! 小林君が結構痛がってるし、もうその辺りにしておいてあげたら…………」
「分かりました……チッ、香椎先生に免じてこの程度で勘弁してやる。とっとと起きろ。さっさと行け。ちゃっちゃと杯戸先生連れてこい。そして死ね」

紅葉の一声でスタンピングを止めた米花だが、足元の男子生徒────小林芳雄よしおを見下す目は、未だ冷たい。
背中に背負っていた、小悪魔風の翼が生えたミニリュックの潰れを直し、芳雄はムッとした顔で米花を睨んだ後に、廊下に放置されていた人間だったものを転がして持ってきた。

「ほうら先生、いつまで米花に言われたことに傷ついてるんですか。しっかりしてください」
「僕は貝に……アコヤガイになりたい……アホやない?」
「男子ってホントバカ。死ね」
「あははははは。はぁ……風に当たろ」

紅葉は、三人がてんやわんやと騒いでいる様子を尻目に、教室の窓の一角を半分開けた。
深夜一時の夜風は、うっすらと春の陽気を連れてきて、これから少しずつ暖かくなるのだろうという前触れを肌で感じさせていた。

「まさか私が、あんな事に巻き込まれるなんてねぇ……あの時の遅刻も、運命なのかな……」

紅葉は、後ろで丸くなっている男教師────杯戸海斗かいととの邂逅に、春の星空の下で思いを馳せていた。

四月一日。
その日、香椎紅葉は初出勤を遅刻で迎える事となる。

以下は余談である。

今回彼ら彼女らが撮影していた動画は、ある漫画家が描いた一枚絵のシーンを用いた、一分の動画を撮影及び編集し、その中から受賞者を選ぶ企画のために作成されたものである。
応募総数が五桁を超える中、果たして彼らの動画は無事に受賞することができたのか。
その結末を知る者は、今はまだ誰もいないのであった。


第一話はこちら

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