綺麗な言葉だけ聞いていたい

綺麗な言葉だけ聞いていたい。幼い頃からずっとそうだった。
狡いかもしれない。傲慢かもしれない。欺瞞かもしれない。
それでもいい。私はなるべく綺麗なものだけを取り込みたいのだ。

暗いニュースは嫌だ。虫の名前を連呼しないで。実際に起こったら困るような言葉を言わないで。

想像してしまうから。リアルに、頭の中に思い浮かべてしまうから。それはとても痛くて、怖くて、冷たくて、悲しくて、気分が悪くなる。

この苦しみを知ることは必要なことなのかな。知っても現実は変わらないのに。変えられないのに。
変えられるなら、私が苦しむ代わりに誰かが微笑むなら、その言葉を聞くのもありかもしれない。でもその人も私も苦しむだけで終わりなら、聞きたくないよ。

でも知る必要があるのはわかってる。だから知りに行くよ。ただし、それは私のペースに任せてほしい。受け止める準備ができてからでないと、私はきっと、不要な涙を流してしまう。思考を停止してしまう。そして自分のかすり傷を治すことに専念してしまう。相手はもっと重症なのに。
そんな自分は、あまり、好きではないから。私の好きな私で、会いに行きたい。我儘だよ、知ってるよ。

突然すぎて笑うかもしれないけど、思い浮かんだから文にしよう。
花を愛でて蝶を目で追って、布団のあたたかさにほっとして。雪の冷たさに驚いて森の静けさに畏怖を感じて。
自分もみんなも元気で。
そういう日々が、世界中のみんなの何気ない日々で、それがずっと続くんだと、無邪気に信じていられたのはいつまでだっただろう?

愚かでいいから。私が愚かであることでその幸せを何も疑わず生きていけたなら、そして幸せであり続けられたなら、どんなにいいだろう。

ちなみに少し前までの私は、私が恵まれていることを常に意識していることが、幸せが奪われるフラグである気がして、ずっと怖くて堪らなかった。感謝したいのに、してしまったら何かが起こりそうで。今でもそう感じるけれど、たまに打ち克つことができるようになった。何故だろうか、自分でも不思議だ。

閑話休題。

そして早速締めくくり。

言葉くらいは、綺麗なものを取り込んで生きたい。現実を知っているから、自分から知りにいくことはできるから、不意打ちはやめてほしい。
そして私の発する言葉は綺麗なものがいい。
ということで、今日も言葉を慈しんでいく。

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