見出し画像

あわてんぼうのサンタクロース

よく晴れた日曜日の朝、ずっと行きたがっていた場所へ行ってくることができました。
思えば罹患から丸9ヶ月目。杖は使ったけれど、車椅子ではなく自分の足で6,642歩も歩くことができました。日頃の散歩でも試していたことが功を奏し、いくつか自分との約束事をしました。
ゆっくり歩く、立ち止まる回数を増やす、疲れたら座る(アウトドア用の椅子を持参)、もう少し大丈夫そうという手前で引き返す

このことを全て守れば、必要以上のエネルギーを使うことなく、景色を楽しんだり自然の音に心地よさをもらったりしながら、むしろ五感的なエネルギーを補給しながら歩くことができました。

寝たきり期

2月〜4月まではほぼ寝たきり生活でした。起きていられない倦怠感に、終日の頭痛や身体の痛み、咳や鼻詰まりで息苦しく、食事で怠くなるためほとんど食べられませんでした。入浴はできず、トイレになんとか自力で行けるのみ。PS値は7〜8程度だったと思います。

3月下旬からは不眠が始まり(それまでは過眠でした)4月初旬には感覚過敏が出現、昼夜問わず光が眩しくてサングラス、生活音や会話の声が辛くて耳栓をして、寝ていました。

※PS値とは(Performance Status)
0〜9まであって、数字が高いほど状態が重いことを示しています。


少し起きていられるように

5月の連休頃から少しずつ起きられる日が増え、連休明けに初EATに行けた時は、本当に嬉しかったなぁ。「あぁ。やっと後遺症に効果のある治療が受けられた」という安心感で、あの痛みも喜びに変わるくらいでした。
EAT治療を始めた頃から、薬の効果が高まり始め、徐々に不眠が解消し始めて眠れる日が増えてきました。ただ、中途覚醒はほぼ毎日あって、朝まで通して眠れていた罹患前のような質の良い睡眠とはまだまだ程遠いもので、それは今現在も続いています。
それでも、一晩中、眠れずじたばたしていた日々を思うと、雲泥の差です。
眠れるって素晴らしい!と、これもすごく嬉しい変化でした。

※EATとは・・上咽頭擦過療法(またはBスポット療法とも言われます)と言われる古くからある耳鼻咽喉科の治療です。上咽頭をこすって刺激する治療法です。
上咽頭は免疫機能の要所で、刺激することで様々な症状、疾患の改善が報告されています。
◉コロナ後遺症治療にEATが効果的 さらなる裏付けとなる論文が公開されました
みらいクリニックのホームページより
https://mirai-iryou.com/2022/08/19/eat_il_6/

◉EAT治療解説(みらいクリニックホームページ)
https://mirai-iryou.com/2019/11/26/cep_course1/

PS5!できることが飛躍的に増えた時期

8月は、これまでの中で一番調子がよく、家族のサポートを受けずに家事や育児をしていました。しかし、これが今思うといけなかった、調子がよいことに調子に乗ってしまって、やりすぎてしまったのです。
娘を乗せて自転車で実家まで行ったり、散歩したり、これまで動けなかった分を取り戻したいというような気持ちが先行して、ペーシングを大幅に間違えてしまいました。
結果、クラッシュ。(クラッシュとは、症状が悪化して3日以上寝込むことを指す)
直接の引き金は6,608歩も歩いてしまったプチ遠出散歩。川遊びをさせてあげたくて、かなりしんどいなと思ったのに、引き返すことなく進んでしまったことや、途中のバスで娘が嘔吐し、その対応に帰宅後も追われたことにより、かなりの負担を自分自身にかけてしまったことでした。散歩を決めた時の体感的なPS値は5でした。ここまでよくなったから、と次の段階に進めたくなっていた “気持ち” に引っ張られた結果だと、後から重く受け止めました。
帰宅はできたものの、夜から寝込み翌日も高めの微熱。これが1ヶ月間続きました。初期の頃の過眠状態が復活し、昼夜問わず眠気と怠さがひどく、気持ちも落ち込みネガティブなtweetも増えていました。PS値はおそらく6〜7まで上がっていました。

クラッシュで得た教訓

この時得た教訓は今も胸に大事に留めています。

・下調べのない場所には行かない(どこで座れるか不明)
・(子連れの場合は特に)『必ずどこかにトラップあり』を前提に動こう
・まだ歩けそう!と思ったところで引き返そう
・調子が良くなった時ほど本当に本当に要注意‼︎
・回復までは長い長い道のり、悪化は坂道を転げるほど早い

この時に悪化して再燃した症状は、
下腹部の焼けるような不快感と嘔吐、食欲不振、光過敏、音過敏、不眠、頭痛、全身倦怠感、下肢の痛み、
立て直すまでには約1ヶ月かかりました。

三焦鍼法との出会い

やっとの思いで、なんとかクラッシュ前の状態に近づいてきた頃、鍼治療と出会いました。体調悪い中、必死で調べたりTwitterで情報もらったりして見つけた治療院。体調の落ち着いていた日に問い合わせの電話がかけられ、先生が後遺症に理解あることがわかり、初鍼の予約日が決まったときは、また本当に喜びで胸がいっぱいになり、それだけでまず安心しました。
しかし、その後、また失敗をする私^^;

保育園送迎プチクラッシュ

9月の終わり、だいぶ調子も安定していたので、そろそろいいかなと、娘を保育園まで自転車で送ってみることにしました。電動自転車であまり力入れずに漕げるし、8月に一度トライして行けることを確認していたし、と思って踏み切りました。
しかし結果はまたもや失敗。
通常なら自転車で15分ほどの距離。ゆっくり漕いで負担を減らしながらも、途中から疲労を感じ始めていました。しかしとにかく保育園まで行くしかないと漕ぎ続け、到着した途端に立てなくなってしまいました。貧血、頻脈、めまい、で先生に付き添われて園の空き部屋で寝かせてもらう事態となり、これは大いに反省しました。
布団で2時間ほど休ませてもらい、ようやく少し動けるようになり何とか自力で帰ってきましたが、この日の結果として全身倦怠感、足に力が入らずにすり足歩き、がしばらく続きました。3日後には初鍼が控えていたので、なんとか行きたいと必死でエネルギー温存の数日間を過ごしていました。

9月30日 初の三焦鍼法

初鍼には、母の付き添いサポートのおかげで、なんとか行くことができ、とても良い治療を受けることができました。この時の体験は、また別立てで鍼治療についてまとめて、後日書いてみたいと思います。

10月3日 漢方外来のある後遺症外来

通える距離に後遺症外来なるものができていたのを、少し前に知って、早速予約して行ってきました。(それまでは、オンライン診療の後遺症外来と循環器内科での検査と組み合わせてました)
新しい漢方の処方がされ、「後遺症はよくなる」という先生の言葉が力強かったです。この日に、「毎日3,000歩は歩いてみる方がよい」と勧められ、翌日から毎日3,000歩の散歩をスタートさせました。(できる日、無理をしないを心得ながら)

漢方の効果はすぐにはわかりませんが、鍼治療と証を見て出された漢方開始。
その数日後、娘の運動会を見ることも叶いました。

動くたびにまだPEMはくるけれど

寝たきり期には遠い夢のように感じていた運動会にもなんとか参加できたこと、これは人生で一番嬉しかったかもしれない、というくらい感動を味わいました。こうして低空飛行ながらも日々を送れていることは、周囲の配慮やサポート特に家族の支えががとても大きいなと、感謝の日々です。
今日現在も、どうしても避けられない子ども関係の行事や手続き、それらを行った日の後は、必ずといっていいほど3日後くらいまでにPEM がきます。
吐き気と頭痛、肩から背中にかけての強張り、しんどいのに眠れない、強めの倦怠感、微熱etc.
とにかく、頭でも身体でもいづれかのエネルギーを少し多めに使うたびに、PEM気味になるけれど、そのことに驚かず、焦らず、落ち込まず、そのことを受け止めるそのような事がようやく少しづつできるようになってきました。9ヶ月たってようやく。
そして、日々の散歩でペーシングし最大5,000歩程度(これ以上はダメ)の歩行であれば問題ないことも確認できました。
※PEMとはPost-exertional malaiseの略で労作後倦怠感のことを指します。
軽い労作後や、ストレスのあと、5時間~48時間後に急激に強い倦怠感(だるさ)が出てしまう、という症状のことです。

今にして思えば

ここには書きませんでしたが、初期の頃は家の中での作業や家族会議?治療方針の定まらなさ、不安などに駆り立てられ、その度にクラッシュ・プチクラッシュを何度か繰り返してましたし、PEMなんてしょっ中で全くもってペーシングできていませんでした。
私がここまで回復する過程は決して一筋縄ではなく、本当に心身とも紆余曲折ありました。

サンタの願いごと

本当は、海に行きたい娘。遊園地も、消防博物館も、旅行も、遠くに引っ越したおともだちのところへも、本当はすごく行きたいのに、私がなんとか行けそうな場所を選んだ娘。小さな体にはすみずみまで愛がいっぱいつまっているようで、たくさん我慢してるのを知ってる。今ある中でどうやって楽しみを見つけていくか?ということが大人より得意な子どもたち。本当は、助けられているのはいつも、大人の方だな、と否が応でも思わされます。

いつか、絶対に娘の願いを、本当に行きたいところへ連れて行って思いっきり楽しませるんだ!と、11月にやってきたあわてんぼうのサンタクロースに静かに誓います。