『ゲティ家の身代金』

〈 ひょっとしたら自分にもあまり興味がない? 〉

 稀代(きだい)のケチ男、ジャン・ポール・ゲティの孫が誘拐・大金を要求され、お金のない母親・ゲイルは大富豪の義父に出してもらうしかない。しかし、「どケチ」人生に邁進していた義父は慌てる風でもなく、マスコミの前で堂々と「一銭も出さない!」と宣言。おかげで ゲイルは「お金はあるはず!」という犯人と世間から責められるし、息子を取り戻せない膠着状態に神経がボロボロに…。

 今・ジャン・ポール・ゲティの伝記を読んでいるが、人の事にはまったく興味がなくひょっとしたら自分にもあまり興味がないのではないかと思えてくるキャラクターは、その場でしたい事ができるといううらやましい人生だが、死んで【お金と悪評】だけしか残さなかったというのはまれな人なのは確かだ。同情されるのは嫌だろうが、誰も同情しない珍しい人間だろう。『市民ケーン』のケーンにさえ、その哀れさに同情するが彼にはそんな感情すらまったく持てない。

 もっとも映画では『市民ケーン』並みに同情を感じてほしかったようでそれがすごく違和感を感じたのだが、伝記を読んで納得できた。

 フツーの世間は何も怖くなく【お金が無くなる事と、もっと怖いのは増えない事】が一番怖いジャン・ポール・ゲティはここまでくると妖怪だったかもしれない。

 1997年公開、矢口史靖監督の『ひみつの花園』の主人公・咲子を思い出したが、こちらは「お金」の意味が違うところが面白い。ジャン・ポール・ゲティのお金は何の意味もないけど(他人にとっては幸福をもたらしますが)、『ひみつの花園』の咲子のお金はキラキラ光り見ている人間が幸せな気分になる。もちろん、あそこに沈んでいるお金も。

 ところで誘拐された孫役のチャーリー・プラマーが、美少年でこれからも頑張ってほしいものです。

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