モンゴルでモンゴル人とモンゴル相撲をしたことで感じたプロレスのこと

モンゴルへの短期留学
大学のときに初めてモンゴルに行った。最初に行ってから結局卒業までに3回くらい行ったように記憶していますが、いつ行っても、どんな場所でもその辺のおっちゃんたちが、「お前日本人か、相撲するぞ」と言ってきます。時には街中で、時にはお寺で、時には草原で、色々なところで相撲をしました。

子供の頃から相撲が好きだったし、なぜか相撲を軸に色々なことを考えていて、モンゴル相撲のことをたくさん勉強しました。
モンゴル相撲と日本の相撲で比較すると面白いことはいくつかありますが、下記の3つにテーマを絞ってみたいと思います。
1. 土俵の有無
2. 制限時間の有無
3. 番付

土俵
日本の相撲には土俵があり、そこから外に出てしまうと負けになりますが、モンゴル相撲には土俵がありません。モンゴル相撲はもともと草原の広い大地の中で試合をすることをルーツにしており、スペースの制約を設ける必要がなく、純粋にどちらが強いのかを確認したり、より強い戦士を重用し出世させていたのだろうという歴史的な考察があります。補足すると他に弓矢が上手いとか、馬に乗るのが上手いも大昔から重要な要素で、モンゴル帝国が世界を席巻することが出来たベースの部分だと考えています。今でも相撲・弓矢・馬はモンゴルでは国技になっていて、活躍した選手は賞金や賞品(馬とか現物)を手にすることができ、社会的な地位も得ます。
近年では国立スタジアムで最強決定戦みたいな大会を年1回開催するのですが、トーナメント参加者は512人で、ほぼ一斉に試合がスタートするので正直どこを見ていいのかよくわからないのも近年のモンゴル相撲の特徴です。

制限時間
日本の相撲はある程度制限時間があって、2分〜4分程度といわれています。これは近年ラジオやテレビ放送が始まって放送の尺が決まっているためと言われています。一方でモンゴル相撲は無限に試合が続きます、長い試合だと何時間も続きます。
古代の時代、純粋な戦いを求めていた時代にはおそらく時間による制限はなかったと想像します。ただ稲作が始まった頃から、五穀豊穣を祈るために神社などのイベントの1つとしても、徐々に相撲が見られるようになったと言われています。戦士としての優劣を競っていた相撲とは全く別のものとして、ある程度イベントとして決められた尺で行われていた相撲が存在していました。

番付
日本の相撲と同様に、モンゴル相撲にも番付があります。番付は象やライオンなどの動物名になっているのがモンゴルっぽい感じがしますが、その番付のトップを狙うのは同じです。
個人的に日本の相撲で特徴的なのは横綱という地位が設定された経緯だと思っています。横綱ができる前は大関が最高位でした。1800年前後、行事を運営する一族間の競争が激しくなり、その中の1つ吉田司家が人工的に生み出した制度が横綱制度だと言われています。なぜこのようなことをしたのかですが、簡単に言うと天覧相撲(天皇に献上する相撲)の際に上位ポジションを置くことで他の一族と差別化し優位性を持つことを画策したと言われています。社会人になってからこのエピソードが完全にマーケティングの一環だと理解できてからまだ数年しか経っていませんが、初めて色々なことが線で繋がった気がしました。

モンゴル相撲を通じて私は何を思ったか
モンゴル相撲は現代の日本の相撲と異なるということと、それと同時に日本の相撲とプロレスはある種似ていると思っています。
両者とも興行という形でエンタメ要素が強い現代において、決められた時間の中でしっかりと自分の持ち味を出し、高いレベルのパフォーマンスを出さないといけません。そもそも現代の日本の大相撲は力士の技術向上やパワーも強くなっていて、長時間取り組みを続けるのは難しいと思っています。
また、プロレスラーはトレーニングをして基礎を身につけるのは当然ですが、強さだけでは人気が出るものではないの特徴的です。説得力や共感・反感、そのレスラーが持つ人生そのものやその個性と相まって一流の選手になっていきます。
制度としても、地位を求める中で横綱という制度を作ったことと、色々なベルトを創造しそれを奪い合うシステムは非常に似ています。ただその制度が大事なのではなく、その地位に辿り着いたりベルトを巻いた選手がその価値を高めていくところは共通しますし、それが本質であると信じています。

細かいところはかなり端折っていまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。



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