上坂すみれの「恋する図形(cubic futurismo) 」を読み解く②
ふと、2016年に発表された名曲、上坂すみれの「恋する図形(cubic futurismo) 」が、生成AIも含めた現状を明確に予言していたよなと思ったので書き始めてみた。
以下の記事の続きです。
前の記事では、第六節まで歌詞の意味を言語化してきました。
第七節から続けたいと思いますが、この節以降は特に、Videoと合わせて深読みしないとなかなか理解が難しいです。歌詞の深読みとしては簡単に済ませて、Videoと合わせて後で詳しく言語化する事にしたいと思います。
歌詞について
第七節
既存のアートってのがもうダサいっていう心象から盛り上がって、新しいカルチャー作るんだってシュプレヒコール上げて始まったこの2次オタっていうムーブ。
でも絵って方面からアプローチすると、フィギュア化してちょっと違う方向に行ってどの次元(ANYDIMENSION)でも問題があるし、
好きっていう恋愛感情からアプローチしていくと、概念の爆発をコントロールできなくて失敗する。
「デ・ステイル」ってのは様式って意味で、これってどうやっても失敗するパターン、お約束、伝統なのかな?って困惑でしょうか。
第八節
俺の嫁を好きって言う、審美する判断基準、性癖(プリファレンス)って何だっけ。そんな過激なものまで見せられ(reference)て、それって本当に自分が見たいもの(What you want?)だったっけ?
可愛いとかロマンチックという範疇を逸脱してるみたいな、リアルにはありえないようなファンタジーを見せられて。ここまで来るとこれって絵なのかアート笑なのかわからなくなる・・・。ここの文脈が、最近話題の生成AIとも繋がっていると感じています。それはVideoと合わせて後で見てみたいと思います。
第九節
だからって恋愛感情を全面に押し出して、メモリーで俺の嫁は構成されているんだって主張しても、やっぱり俺の嫁のことは知りたいから、性を強調するような、過激なところも含めて近づいて見て(LOOK)しまって、過激でアバンギャルドな絵を求める方向に行ってしまう。
第十節
将来ってどうなるんだろうか・・・と遠い目をしているような感じでしょうか?
最終節
ここで初めて「愛」という単語が出てきます。この最後の節の意味は、Videoをあわせて見ないと全く説明できません。というか、この記事を書いている段階でも、正直自分の中で上手く言語化できていません。
今私が感じているのは、この最終節を読み解とけたとしたら、もしかしたらこれまで言語化してきたすべてのことを、やり直さないとだめなのではないかな、という直感です。
そこで、次はVideoと照らし合わせて、音楽をまたはじめから振り返ってみたいと思います。Videoを最後まで読み解いた後で、この節、ひいてはこの
音楽の本当の意味が立ち上がってきたら、と願っています。
それではまた。
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