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7.コンピュータ小史

<ポイント>コンピュータとヒトの共進化の歴史を概観することにより,未来変革への道筋を読み解くためのヒントを得る。産業革命直前の精度の高い計算への必要が歯車計算機へのチャレンジ重ねさせる。弾道計算の必要と真空管などの一連の発明の調和が電子計算機への道を開く。ヒトの想像と創造の連鎖が「知的生産のための道具」への道をひらき,プロトタイピングを繰り返してMachintoshとHyperCardにいたる。コンピュータのなかで仮想世界の物語をつくり,ヒトとコンピュータがネットワークでつながれるとき仮想世界で物語と生活を共有する文化がうまれる。


1.歯車で稼働する苦難のオートマタ

ヒトの営みが複雑化するにともない,高速に正しく演算することへの需要 (数学・物理学・天文学などの科学演算,収穫を予測し,正しい航路を導き,商業を営む必要 )が計算装置へのチャレンジをうみだす。

●時代の必要が歯車計算機をつくらせる

農業によって巨大化した王国を統治する必要が,初期の計算装置をつくらせる。納税を計算し,それを予測するための河川の測量,天体観測,そして巨大建造物を建築するために小石や算木を並べ,計算結果を数表に記録し,算盤「アバカス(ソロバン)」をうみだす。以降,長きにわたり計算器具と数表による演算の時代が続く。

17世紀,大航海と重商主義の時代,デカルト,ニュートン,ライプニッツなどの哲学・数学者が互いに影響しあい論理基盤を開拓していたころ。大量・複雑化する銀行,貿易,税の計算,そして航海のための精度の高い演算への必要にこたえるため,大量の歯車を使う機械式計算器へのチャレンジが繰り返される。

パスカルの加算マシン(1642年)は減算がおこなえず製品販売に失敗し,記号による数理推論法を展開するライプニッツの段差式計算器(1673年)は加減乗除ができたがコストが高く,19世紀にはいってようやく改良型の量産販売に成功する。その改良版の手回しの機械式計算機は,電卓が普及するまでの長期間にわたり世界中で利用されることとなる。

●スチームに魅せられたコンピュータの父

19世紀,蒸気機関などの革新技術と大量生産のいきおいにのるイギリスで,バベッジは数表における計算と印刷の人為的なミスを正すスチーム・コンピュータ(ディファレンス・エンジン)の開発に取り組む

ディファレンス・エンジンは,モランドの桁上がり機構(1660年)やジャカールのパンチカード式紋織機(1833年)などをバックボーンに,パンチカードを入力として足し算だけの階差演算を使って多項式を解き,記憶装置にストアして数表の印刷原板を出力するという画期的な歯車マシンだった。

開発費が蒸気船17隻分の1万7000ポンド,開発期間が10年余りにおよび経験のない巨大なシステム開発の渦に巻き込まれて未完となる。後に,バベッジ生誕200年のイベントとして,ロンドンの科学博物館が19世紀の技術のみで稼働するマシンを完成する(1991年)

2.エジソンの光がコンピュータとヒトの未来を灯す

計算機の演算速度と精度の加速に連動して社会構造や道具の複雑度が加速し,相互作用の螺旋にのって近代社会が急激に変化する。

●真空管が電子機械の扉をあける

エジソンの電球実験(1883年)からうまれたフレミングの二極真空管(1904年),ついで電子スイッチや増幅器(アンプ)のもととなるフォレストの三極真空管(1906年)が電子機械の扉をあける。

ホレリスのパンチカード式集計装置(1890年)をIBMが受け継ぎ(1911年創業)データ処理入力の標準方式として広め,
1937年,シャノンがブール代数を論理スイッチ回路で演算できることを示し,
同年,ベル研究所がメモリの基礎となるフリップ・フロップを開発し,スティビッツが2進数をベースとする汎用演算の流れをつくり,
1941年,アメリカでテレビ放送が開始する

● 黙殺された世界初の電子式コンピュータ

1942年,高速レーダ,高速兵器,原子から宇宙に向かう物理学など,軍事利用から製造まで高速演算への需要が急激に高まるなか,ハーヴァード大,MIT,ベル研究所などの研究機関は稼働部品を使ったアナログ計算機を開発していた。一方でモークリーとエッカートの真空管を使った電子式コンピュータの企画書は,ペンシルヴェニア大学で夢物語として理解を得られず黙殺され続ける。

1943年,第二次世界大戦(1939~1945年)においてドイツ軍に苦戦していたアメリカ軍は量産される大砲用の弾道を計算するための射表づくりが間にあわず,モークリーらの企画を発掘して出資することとなる。

● 巨大な電子式コンピュータENIAC

基本的な発想は複数の計算機を繋ぎ合わせ,それぞれの出力を別の計算機に入力するというものだったが,すぐに焼き切れてしまう真空管を1万本以上も組み合わせる論理回路は実現不可能と考えられていた(TVに使われていた真空管は30本)。

入力装置,出力装置,演算装置,記憶装置を複数のボックスに機能分散し,消化ホースのような太いケーブル束でつなぎ,制御装置からコントロールする。現代のコンピュータの要件を備える画期的なチャレンジがはじまる。

1946年,モークリーとエッカートらのアイデアと徹底した開発・リスク管理により,167平方メートルのスペースに重さ30トン,2.7メートルのキャビネット40個に約1万8千本の真空管という巨大な怪物,電子式コンピュータENIACを完成する。ENIACは,微分解析機で15分かかる弾道計算を30秒で終える画期的な性能を示す。

これ以降,電子式コンピュータに確信を得た技術者たちは,さらなる高精度,高信頼性,高速な演算に向けて爆走する。やがて,コンピュータを構成するハードウェア,それを動かすオペレーションシステムはアプリケーションを動かすためのプラットフォームとなり,集中と分散の波にのり,巨大データベースがマネーや物流,交通,国民を電子化して経済・生活をささえる基盤となってゆく。

3.知的生産のための道具への道:記憶の拡張装置Memex

計算機の演算速度と精度の加速に連動して社会構造や道具の複雑度が加速し,相互作用の螺旋にのって近代社会が急激に変化する。

1945年,終戦の年(ENIAC完成の前年)計算に電子式コンピュータを使うことすら確信のないとき,コンピュータを「思考のための道具」に導く衝撃的な論文が発表される。

●われわれが思考するごとく(As We May Think)

研究開発局の局長として6千人以上のアメリカ人科学者の管理にあたっていたヴァネヴァー・ブッシュは,大戦という局面において重点化すべき課題を的確に見極めてそれを革新する技術・技術者を集めていた。一方で,アトランティック・マンスリー誌に「われわれが思考するごとく(As We May Think)」を発表する。その内容は,パーソナル・コンピュータ,Web,スマートホン,ビッグデータの時代に導く衝撃的なものだった。

1)何が問題か:
・ヒトが記録を活用する現在の能力をはるかに超えて出版物があふれ,経験の総量がとてつもない速度で増加し続けている
・このため専門分化の重要度が増し異なる分野のあいだに橋をかけている余裕がない
・にもかかわらず迷路を通り抜けて必要な情報にたどりつくための手段は帆船時代と変わらない

2)今ある技術を育てれば解決できる:
①情報収集
・音声認識で文字を入力,印刷物はOCRで文字に変換,ライフカメラを頭につけて自動撮影する
・研究者は手ぶらで移動しながら写真をとり,音声で注釈をつけ,夜に思いついたアイデアを遠隔で記録する
②保存
・記録と写真は圧縮して光学式や磁気記録で保存する
③検索
・指定した属性で情報を並び替えて抽出し,連想にもとづくリンクを使って検索する
④読みだし
・記録した情報をディスプレイで表示,計算した結果にもとづき請求書を印刷する

3)記憶(Memory)を拡張する装置:メメックス(Memex)
・今使える技術で実現可能な装置のイメージを提案
・机にパーソナルなコンピュータ,ディスプレイ,キーボード,操作ボタンとレバー,スキャナ,マイクロフィルムによる記憶装置を備え,
・あらゆる種類の書籍,写真,雑誌,新聞を入手・記録し,手入力の文書,写真を記録,メモやコメントを上書きし,
・属性で情報を検索し,マルチウィンドウで表示,レバーとボタンで送り,巻き戻し,
・ドキュメント間をリンクでつなぎ,横断的に閲覧,検索経路を記録し,コピーを他者と共有できる

Memexのイメージ
(https://youtu.be/pW4SS_9nXyoより)   

●革新的な未来世界を読み解くフューチャー・リテラシー

ブッシュの革新性は,情報と技術が飽和する未来を先取りしたメタ技術者として,他者の力を組み合わせて具体的な未来シナリオを構築する「フューチャー・リテラシー」にある

ブッシュのフューチャー・リテラシー:
1)課題設定

 今はじまっている問題から未来の重点課題を設定
2)技術の芽を選定
 あふれる技術論文のなかから次の時代につながる技術の芽(電子式コンピュータ,音声認識,音声合成,文字認識,記録・再生装置)を的確に選定3)未来シナリオの構築と具体力
 それらを編集して未来シナリオを構築し,技術者をスカウトしチームを編成して装置をくみあげる

ブッシュのメッセージがわずかな技術者の手に届いたのは,ブッシュが憂慮した雑誌というメディアが広く普及した時代であったからだった。メインフレーム,スーパー・コンピュータなどの高額・高性能なマシン開発競争の裏側で,計算する機械をプラットフォームとする「知的生産性のための道具」としてのパーソナル・コンピュータ実現に向けたチャレンジがはじまる

4.知的生産のためのヒトとコンピュータとの共生

ディスプレイとキーボードをつないで「コンピュータと対話する」ことが笑われる時代に,「ヒトとコンピュータの共生」の実現に向けた想像と創造の連鎖がその形を具体化していく。

ソ連のスプートニック号打ちあげ成功(1957年)に衝撃を受けたアメリカは,1958年NASA(アメリカ航空宇宙局)とARPA(アメリカ国防高等研究計画局)を設立して科学技術を大きく加速する。

ARPAにはリックライダー,エンゲルバート,アラン・ケイらが集結し,タイムシェアリング,グラフィックス,人工知能,サイバネティックス,オペレーティング・システム,プログラム言語,インターネットを生みだしていく。

1960年,リックライダー「ヒト・チームとコンピュータのリアルタイムな共生」を語り,

コージブスキーとウォーフ「言語と相互に影響し合うヒトの思考」の提起に続き,
1962年,マクルーハン「ヒトの五感と脳内の相互作用に与えるメディアの影響」を,
エンゲルバート「ヒトの知能・思考と相互作用・共進化する人間知性増強(オーグメンテーション)のためのコンピュータ環境」を思索する

1963年サザーランドがライトペンで操作するグラフィカル・ユーザ・インタフェース,オブジェクト指向プログラミング,アイデア・オーサリング・システムを搭載するコンピュータとの試行錯誤対話の先駆けとなるSketchpadをつくり,

1967年,パパートが子供たちが自発的に問題を考えて解くためのプログラム言語:Logoで動くメタファー=タートル(小型ロボットとカーソル)を用いた教育実験をおこない,

1968年,エンゲルバートが「グループ全体知性の増強」のためのマシンNLS(oN-Line System)をメディアショーで実演し,マルチウィンドウ,ビットマップ画面,ハイパーメディア,画面共有会議,キーボードとマウスで自在に情報空間を駆け巡らせて聴衆を魅了する

●AltoからMachintoshへ

アラン・ケイSketchpadの開発チームで学び先駆者たちの思想を吸収して,パパートの子供のためのプログラム教育に衝撃を受けて鉛筆のように誰でもすぐに使える万能シミュレータ=メタメディアの開発を構想する。

アルダスの小型本(1494年)のように子供でも気軽に持ち運べるダイナミックな本=コンピュータ作品の執筆環境としてダイナブックを考案する。ゼロックスのパロアルト研究所でその思想をAltoに受け継ぎ,オーバーラップ型ウィンドウ,高解像ビットマップ・ディスプレイ,デスクトップ・メタファーをマウスとキーボードで操作し,オブジェクト指向プログラミング環境SmallTalkによりコンピュータ・リテラシーが何であるかを示す(1973年)

ジミーとベスが相互接続したDynabookで遊ぶ様子
(1972年,Alan Kay, A Personal Computer for Children of All Ages [picture of two kids sitting in the grass with Dynabooks] ©Alan Kay)

そして,Altoを見学した2人のアーティスト,スティーブン・ジョブズとビル・アトキンソンらの手によりLisaをへて,Macintoshとして結実して「知的生産のための道具」が世に普及することとなる。

5.MacintoshとHyperCardの描いた小世界

それは,未来につながる「新しい言葉」のはじまり,言語を描くためのキャンパスだった。2人のアーティスト,スティーブン・ジョブズとビル・アトキンソンらの手によりアラン・ケイのAltoを道標としたMachintosh(1984年)が発売され,マルチメディア・オーサリング環境HyperCard(1987年)が搭載される。

●コマンドによるコンピュータ操作

それまでのコンピュータはキーボード入力しか使えず,UNIXのようにコマンドラインで指示する必要があった。ヒトが直感的におこなっている動作を,コンピュータの理解できる言葉に翻訳しなければならない。テキスト上での「文字のコピー」といった操作までもコマンドで指示しなければならず,それが常識だった。

コマンド操作の例:
1)ファイル削除
 delete [ディレクトリ階層]+[ ファイル名]
2)ワープロのファイルを開く:
 word [ディレクトリ階層]+[ ファイル名]

●Machintoshの小世界:

ヒトは,複雑な世界で生きるために新しい事象に出会うと「アナロジー」で理解・学習し,世界もそれにこたえる。Machintoshの「デスクトップ・メタファー」もまた,何をすればいいかをわれわれに語りかける。

常識が通用する一貫した「メタファー」で表現されるオブジェクトを縦横にリンクする仮想世界,それがMachintoshだ。ワープロ,ペイント,ドローを標準搭載し,開発されるアプリケーションもすべて一貫した思想・操作で提供される。

常識が通用する,全部がつながる:
今では常識のデスクトップ操作は「あたりまえ」からうみだされた
1)ドキュメント・メタファー 
文字も絵も図形も全部ドキュメント,ドキュメントを開けば,アプリケーションなんて指定しなくても読み書きできる。机の上には複数のドキュメントを開きっぱなしに置いておける,フォルダに束ねられる
2)ゴミ箱・メタファー
ドキュメントもフォルダもゴミ箱に捨てられる,ゴミ箱の中はゴミの日に空にするまで残っている
3)プリンタ・メタファー
アイコンをSystemフォルダにいれるだけで使えるようになるし,ファイルをプリンタアイコンに重ねれば印刷できる
4)カット&ペースト
ワープロで書いたテキストも他のアプリケーションで書いた絵も,図形もハサミで切って貼り付ければいい,音声だって動画だって同じだ
5)やりなおし
ちょっと現実にはない魔法もある「Undo(やりなおし)」だ。間違えたら1回だけ時をもどせる

オブジェクト仮想世界のメタファーは,操作インタフェースだけではない。アプリケーションもオペレーティング・システムもオブジェクトとオブジェクト間の相互作用で表現される。

Macintosh Plus
(ウィキペディア(Wikipedia) "Macintosh plus"(2020,12/12)より)

●HyperCardの小世界:~ 幻となったクリエイティブ環境

HyperCardは,アラン・ケイの考えたコンピュータ・リテラシ-(読み書き能力)のメタファーとパパートのマイクロ・ワールドテッド・ネルソンのハイパーテキストを誰もが使えるシンプルな形で具現化したマルチメディア・オーサリング環境だ。カードの上にフィールドやボタンを配置し,カード間をリンクでつなぎ,カード・フィールド・ボタンに直接HyperTalk言語で動作を記述する。

音や音楽,絵を描き,テキストを記述する。クリックすれば動き出す絵本,百科事典,アドベンチャー・ゲーム,教科書などを触ったその日から創作できる。初心者が自由に扱える簡易性だけでなく,オブジェクト指向,関数の拡張,HyperTalk自身をHyperTalkで書き換えて実行するなど,プログラミング・プロフェッショナルも唸らせる魅力があった。

主婦,学生,教師,デザイナー,ミュージシャン,漫画家,サラリーマンそして子供たち,プログラムを経験したことがない人たちが自分たちの生活を楽しむために作品を手作りする

MacLife誌がHyperCard発売の数ヶ月後に開催したコンテストでは,音声ロボット&通信環境,幼児向けゲーム&動く絵本,家計簿,易,妊娠知恵袋,絵描き歌絵本,迷宮探検ゲーム,科学実験教材,シンセサイザーコントローラ,算数教材,医療外来会計,本と料理のデータ帳など多彩な作品がよせられる。応募したのはプログラミングの素人たちばかり。誰もが,魅力的なコンテンツをつぎつぎに発表するクリエイティブコミュニティが自然発生する魅力がそこにあった

HyperCardコンテストの応募作品たち
("スタックウェア・コンテスト応募作品より", MAC LIFE No.11, p71)

HyperCardは,複雑系の世界をメタファーで表現できる「表描文字※」とそれを描くための最初の環境だった。そして,デスクトップ・メタファーが残り,オブジェクト指向は複雑なJavaの世界に,HyperCardはプログラムが困難なWeb世界に呑み込まれていった。

※表描文字: カード上に絵・音・文字・プロセスで描くことにより語りかける新しいテキストの形態。筆者造語。

6.ロールプレイングゲームという仮想世界

ゲームは人と人の知的コミュニケーションとイマジネーションのツールとして,紀元前よりヒトと深くかかわりをもってきた。ロールプレイングゲームの物語は,なぜヒトを魅了し続けるのだろうか。

●ゲームのはじまり

最も古い時代の遊戯盤は紀元前3000年頃のものが残されている。例えば,古代エジプトで遊ばれたツタンカーメンのゲーム盤として有名な「セネト」は,1対1で対戦する双六=バックギャモンのルーツであり,相手の移動を阻むことができる戦略性がプレイヤーを魅了した。そして,5000年後。

●ごっこ遊び,ロールプレイングゲームの登場

競争,運,模倣,眩暈,努力,技能習得といった遊びの要素を備える総合遊戯ロール・プレイングゲーム(RPG)は,実世界のテーブル上で遊ぶダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D, 1974年)を源流とする。ロール・プレイングを直訳すると「役割演技」となり,要するに「ごっこ遊び」を詳細にルール化した仮想世界上で遊ぶのがRPGだ。

D&Dでは,指輪物語(ロードオブザリング/1954年)に大きく影響を受けたファンタジー世界で戦士,僧侶,盗賊,魔法使いなどの職業,人間,エルフ,ドワーフなどの種族を選び,能力を決め,キャラクターの名前をつけてごっこ遊びをはじめる。

コンピュータゲームのコンピュータ側を担当するのがマスター,ごっこを演じるのがプレイヤーで,ダイスを降りながら確率表をもとにシナリオを進める。80年代のアメリカ少年たちを夢中にさせ,ETやストレンジャーシングス(Netflix)でその様子を垣間みることができる。マスターは,シナリオから逸脱しすぎるとストーリーが破綻するため,プレイヤーをシナリオ上で動くよう自然な誘導が必要となる。どれだけ役になりきって演じられるかはプレイヤーの妄想力しだいだが,呪文の詠唱を恥ずかしがる日本人は「左のモンスターにファイアーアロー(炎の矢)をキャスト(詠唱)」という具合に淡々とすすめることとなる。

ゲームの物語,コンピュータRPG

本家D&Dは日本の少年たちを魅了することはなかったが,ゲームマスターの煩雑な役割をコンピュータが行い,声を出して演じる必要がないコンピュータRPGが子供や大人をとりこにする。古くはアメリカのウィザードリー(1981年),ウルティマ(1981年),日本ではドラゴンクエスト(1986年),ファイナルファンタジー(1987年)が源流となる。ウィザードリーは地下迷宮での探検を,ウルティマはファンタジー小説世界での生活を,ドラゴンクエストは漫画世界の体験を,ファイナルファンタジーは映画世界への参加をめざしてシナリオへの参加・インタラクションを提供する。そして読書のようなクローズドな物語,マルチバース世界での生活を日常に浸透させる

コンピュータRPGは,フィクション世界の体験手段を読書からコンピュータ操作へと移行し,頭のなかでのイマジネーション体験をディスプレイ描画との共体験へとシフトさせる。ソクラテス「文字」を使うことを記憶力の喪失として,「書物」を語りかけてもこたえないもの読者を選ばないものとして批判した。「読書の物語」から「ゲームの物語」=新しいコミュニケーションへの急激な移行は,ヒトの「思考」にどのような共進化をもたらすのだろうか

7.オンラインRPGという自由物語世界

●とある冒険者の日常

冒険者を夢見るエルフの少女がいた,名をClariceという。厳つい甲冑に身を固めた戦士たちが,鍛錬のために危険な地下のカタコンベに潜り戦っているなかを,場違いな緑の布服と弓という軽装で死人(シビト)たちを狩っていた。なぜ重装をしないのかと問われると,汗臭くて重い甲冑が嫌いなのだという。

いつものように狩りをしていると呪文とともに突然ゲートが開き,中から存在するはずのない上位死霊魔法使いリッチーがあらわれた。プレイヤー狩りをする盗賊たちの仕業だ。逃げ惑う戦士たち。喧噪の中,突然黒い風がはしりぬける。黒い甲冑に深紅のマントのその集団は,リッチーを切り捨てて走り抜けていった。団の名をScV(Scarlet colored Vampire)という,強い団があれば善悪の区別なく宣戦布告する,受けなければ汚く罵るマスターLapisはいかれていると評判だった。街中でも安息が得られない戦争は2つの団どうしで行うのが普通だが,常に複数の団と敵対しているのが狂戦士集団ScVだ。Clariceにとってその出会いがその後の人生を変える決定的なものとなる。

その後,ScVを退役した居酒屋の主人との出会い。給仕をしつつ,そこで出会った友人と特訓を受ける日々。家を手にいれ,ホッキョクグマを飼い。大量発生したモンスターにやられそうになったときには,カタコンベで出会った名も知らぬ戦士たちが助けてくれた。ついにScVに入団。チートを使う中国マフィアなどありとあらゆる強敵たちとの闘い,Yamato大戦と呼ばれるサーバ全体を巻き込む雌雄を決する死闘に勝利した後,ScVは姿を消した。

●MMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)という自由物語世界

1997年,ゲーム界に激震をおこすウルティマオンラインが登場する。リチャード・ギャリオットがファンタジー世界での生活を実現することを夢見て提供し続けたRPG「ウルティマ」をプラットフォームとして,オンラインで接続して自由に生活できる夢のファンタジー・オープンワールドを実現したのだ。

プレイヤーはモンスターを狩る冒険者だけでなく,木こり,採掘,釣りなどの素材を売る一次産業,素材を加工して料理,武器防具,家具などとして販売する二次産業,需要と供給により価格が変動する商業を営むことができる。システムで用意されたクエストなどなく,リアルな生活がそこにある。あらかじめ職業を選択するという概念はなく,剣士となるか,魔法使いとなるか,生産者となるか,加工者となるかは関連する技能を繰り返し鍛えることにより選択する。

1人で冒険することも,チームを結成して集団で商業や探検や戦争をすることも可能だ。鍛えていなければ鹿にも勝てない現実,リアルな世界がまさにそこにある。100人を超える戦争では,集団戦ならではの戦法が編み出され,少数精鋭による奇襲の有効性を体感し,集団による用兵の難しさを実感する。日常でのコミュニケーションがあり,自己実現と承認欲求を充足する社会がある。そこでの生活が学業や仕事の合間の数年間でしかなかったとしても,プレイヤーそれぞれに濃い記憶と体験と物語が残る。リアルなバーチャル生活と,トークンエコノミーがそこにあった

歯車からはじまったコンピュータは,ネットワーク化によってヒトとの共進化を加速する。想像もできないほどの計算能力によりヒトの脳力をアウトソースし,機械をコントロールしてヒトの手足をアウトソースし,軽量化によりヒトの一部となってネットワーク空間を広げてヒトと情報のコミュニケーション能力を強化し続ける

ウルティマオンライが構築した小世界の文化は,仮想世界における協調した遊びを極めるワールド・オブ・ワークラフト,バトルと自由な行動やコミュニケーションの場を提供するフォートナイト,仮想世界における生活とクリエイティブエコノミーとリアル経済との連結を実現したセカンドライフに受け継がれる。そして今,ヒトは多次元な仮想世界への侵出をめざす


【参考書籍】
[1] スコット・マッカートニー(2001), "エニアック :世界最初のコンピュータ開発秘話", 日暮雅通訳, パーソナルメディア
[2] 松岡正剛監修(1996), "増補 情報の歴史 :象形文字から人工知能まで", NTT出版
[3] ハワード・ラインゴールド(2006), "新・思考のための道具 :知性を拡張するためのテクノロジー --その歴史と未来", 栗田昭平監修, 青木真美訳, パーソナルメディア
[4] 西垣通(1997), "思想としてのパソコン", NTT出版
[5] Vannevar Bush(1945), "As We May Think", The Atlantic
[6] M.マクルーハン(1986), "グーテンベルクの銀河系 :哲学人間の形成", 森常治訳, みすず書房
[7] シーモア・パパート(1982), "マインドストーム :子供, コンピュータ, そして強力なアイデア", 奥村貴世子, 未来社
[8] アラン・ケイ(1992), "アラン・ケイ", 浜野保樹監修, 鶴岡雄二訳, アスキー出版局
[9] シーモア・パパート(1982), "マインドストーム :子供, コンピュータ, そして強力なアイデア", 奥村貴世子, 未来社
[10] テッド・ネルソン(1994), "リテラリーマシン :ハイパーテキスト原論",竹内郁夫, 斉藤康己監訳, ハイテクノロジ―・コミュニケーションズ訳 , アスキー出版局
[11] 増川宏一(2006), "遊戯 :その歴史と研究の歩み", 法政大学出版局[12] ロジェ・カイヨワ(1973), "遊びと人間", 多田道太郎・塚崎幹夫訳, 講談社学術文庫


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