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ひさかたの光のどけき春の日に・・・

Future OSAKA News No.6(2024.03.15)

ひさかたの光のどけき春の日に・・・

花のたよりにココロをいざなわれ、思わず空をあおぎ見る季節を迎えました。が、悪政のカラクリを少し学んでしまったこの春は、花につけ緑につけ、伐採・撤去を烙印された樹木のことが脳裏をかすめ、紀友則とはぜんぜん異なる次元で「しずこころ」を乱されています。
そんななか、少し「木と詩」の話をしていいですか?と、Y.Rさんが一篇の詩とあわせて稿を寄せてくださったので「■Post」に紹介させていただきます。
その前に、まずはリポートとインフォメーションから。

Report

★3月12日の夕刻、突然「最後通牒」が「大阪市の街路樹撤去を考える会」にメールで送られてきた。翌日、公園事務所に問い合わせたら、「今日、すでに切っている」と。
東住吉区今林公園の5本のケヤキは全滅してしまいました
詳細はこちら

★前号(No.5)でお知らせした2つの説明会

3月1日に開かれた、大阪松原線の街路樹アメリカフウ90本の伐採についての「現地説明会」には市民20人ほどが参加。納得のいく説明はなく、「宿題」として持ち帰ってもらうことに。
https://chng.it/vVCLnYt4gy
3月6日、大阪城公園事務所で開かれた北大江公園の樹木伐採についての説明会は、参加者が事前に限定され、ヒマラヤスギ7本を含む12本の樹木伐採はすべて実施されることで決着。市サイドからは、12本伐採後に、
ジンダイアケボノなどの高木4本を増やすという案が提案されたということです。

Information

★やります!「稼ぐ公園」ってなんだ?第2弾

★やります!「稼ぐ公園」ってなんだ?第2弾
「まちから樹木が消える不思議~おおさかマジックの裏がわ~」
とき 2024年4月13日(土)12:00~16:00
ところ 国労大阪会館3F(JR環状線天満駅/地下鉄堺筋線扇町駅)
今回はフィールドワークではなく「ギャラリー&学習&フリートーク」。住民共有の財産である公園や街路樹のあり方を、自然災害などのリスク管理、防災の視点から考えてみます。
ギャラリーへの写真や動画の出品を募集しています。どしどしお寄せください。
イベント詳細はこちら

★「止めよう!ドロ船万博 被災地支援優先や」

とき・ところ 2024年3月31日11:00 長居公園南西入り口に集合
去年の「おにぎり&パレード」にひきつづき今年は「昼下がりパレードwithお花見」バージョンです。
イベント詳細はこちら
共催 カジノはいらん!住吉の会/平和・民主・革新の日本をめざす住吉の会

Post

地球沸騰化といわれる時代に、樹木の果たす役割は大きいものです。都市緑化(都市の樹木や樹林の環境的価値を高め、回復性と生物多様性に富み、コミュニティを育む豊かな都市づくり)がすでに国際的潮流になっているのに、大阪はそれに逆行する政策を続けています。

★木のすがたは「生きること」の実践状態

樹木を思うとき、わたしが思いだすのは四国の故郷です。通っていた保育園が神社の境内にあり、鎮守の杜として何百年は生きてきただろう杉に「遊んでもらった」記憶です。
雨が降った翌日にできた泥で、杉が落としてくれた実を集め、できるだけ大きなお団子をつくり、杉の根元の洞に誰にも見つからないようこっそり「宝物」を隠すのです。今思えば、杉とわたしは生き物として対等に交感していた気がします。このような表現はあまりに詩的で情緒的すぎるでしょうか。でも、少し「木と詩」の話をさせてください。詩人、小池昌代さんと、建築家の塚本由晴さんの対話本(「建築と言葉」河出ブックス)からです。

この本で、小池さんは「詩は、日常生活とあまり縁がないように見えるけれども、実はどこにも散らばっており概念としてそこらじゅうある。詩を書いている人間は詩を書く以外は洗濯したり、子どもを怒ったり、普通に生活していて、これが普通の人間のあり方であり、本来は人間みんなが詩人である」といいます。
塚本さんは、生きることの実践状態にいる人間はみな詩人だといいます。そして、木のすごさを語ります。「バルセロナの旧市街の広場の大きなプラタナスは、日陰に育ったため光を求めてのけぞり、とても不恰好になっていたけれど、広場全体に影を落とせるようになっていて、その頑張っている木を見ると、木というのは形ではなくて、常に葉っぱを太陽に当てよう、重力に負けずに枝を保とう、水を吸い上げよう、風が吹いたらバランスしよう、とすべての部位が生き生きとした実践状態にあることからなっている」と気づいたと。そしてまた、建築にも環境との対応関係があり、光や影を取り入れたりと、うまくバランスを保つよう実践状態にもっていく働きかけは「詩的である」ともいいます。(しかし近代建築はそういう「揺らぎ」を排除し殺してよしとする傾向があるとも)
日々成長する木々が、日々生活し生きる人間の寓意として、詩的な存在として語られていて、幼いころに「遊んでもらった」杉の木との、濃密な言葉のない世界がよみがえります。

★感じ合える、わかり合える市民運動を

建築物と樹木から成り立つともいえる街の在り方、バランスを考えると、大阪市はただでさえ樹木が少ない街です。緑の樹木は「公共」の財産です。何百年と守られてきた鎮守の杜が地域の人々のシンボル、財産であるように。経済活動が生きる条件になってしまったような大阪という都市で、生きることを奪われそうな樹木たちを守ることは、まさに地域を、自治を守ることではないのかと思うのです。
そして、反対を言葉で伝えるだけでなく、かつて杉の木としたように、人間同士も、感じ合える、わかり合える、ということも心に留め、市民運動をしていけたら…と思っています。

終わりに、私の好きな小池さんの詩をご紹介します。(『コルカタ』小池昌代詩集より)

「最後の詩」

自分の生まれた五月に逝きたいと
ある詩人は言って そのとおりになった
わたしは七月生まれ
でも
五月に逝きたいひとの気持ちは すごくよく わかる
いやそれが
いま 正確に わかった気がする
この おおらかな緑に囲まれながら
地球での日々に別れをつげる
嫌なことは 山ほどあった
でもそのときは きっと忘れてるだろう
さようなら
その一瞬が ありありと わかるような気がして
わたしはぎくっとした 自分のことなのに
桜の季節が終わり 花が緑に変わる
風に ざわめく木の音が聞こえる
詩を書くうちに
もともと友達が少なかったわたしは
友をますます失った
いや そのひとを まだ知らないだけで
じつは新しい友達が増えた
のではないか と考えることもできるが
やはりそれはあまりにずぼらな楽観である

わたしは確かに 独りになったのだ
いつも窓際に机を置いて
樹木を見ながら
こうして詩を書いてきた
それが わたしの いつのまにかの 習慣
いい歳をして センチメンタルな女だって鼻で笑ってもいいよ
もう 何を言われても 簡単には傷つかない(ほんとうだろうか?
お酒も呑みにいかず
趣味も持たず
詩を書いたり 歌を歌ったり
結婚したり 別れたり 子供を産んだり
便器を掃除したりして(大事なことだ)
人生を過ごしてきた
そして最後は こうして
木が
目のなかに残るのではないか
そのように
そのように わたしに確信させるほど確かに
木が立っている
いま わたしの目の前に

Movement Now

★昨年12月27日、政府が「九州・長崎IR区域整備計画」を認定しないと決めたことに対し、この3月13日、長崎県は行政不服審査の請求を行わないことを決定。これまで進めてきたIRの整備計画を断念することになりました。
「長崎県 申請していたカジノを含むIR整備計画を断念へ」(長崎NEWS WEB 2024.03.13)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20240313/5030020312.html

「Future OSAKA」(フューチャーおおさか)とは

ビッグ・ボスはおらんけど、大阪をマジに愛する、オモロいリーダーがいっぱいおる、そんな「市民ネットワーク」づくりをめざします。
こころざしは高く、目線は低く、視野はグローバルに、足場は徹底してローカルに。
自分たちのくらしや地域の課題とかかわり、社会を共に創っていこうとする仲間と出会い、地べたから「自治」を考え、実践しようという個人の参加を呼びかけます。
アクセスはcontact@futureosaka.com(「メールニュース」へのご意見・投稿も歓迎します)


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