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エクストリーム一人旅2024〜能登地震の中心地輪島市の本音と現実〜

この旅は己の弱さと真正面から向き合い、人間としての大きな成長をもたらし、俺の目指す王に近付く事が真の目的となる。
そこで今回は旅に縛りを設けた。

【①縁もゆかりもない土地に行け】
自分のことを誰も知らない土地へ行け。
これまでの人生で築き上げてきた地位や名誉の武器を全て捨て己の身一つで闘え

【②思い出話となるイベントを起こせ】
とにかく誰かに話しかけろ。何もしなければ何も起こらない照れや人見知りは甘え。己の弱さに打ち勝つのだ。

【③知り合いに会うな】
自分1人で行動を起こす事に意味がある。友達に頼るな。連絡も基本取るな。寂しさは現地の人で埋めろ

【④ナンパは禁止】
色を武器にするな。己の人間力だけで闘え

【⑤ホテルは取るな】
究極の行きたりばったり旅にしる。
観光地や名産は現地で聞け。何も決めるな

目標

【❶現地の若い異性3人組以上の人達に混ざって観光する】
色々考えられる組み合わせで最もハードルが高いと考えられる為。

【❷偶然著名人と出会した場合、必ず話しかける更に自分とのエピソードトークをテレビで話してもらう】
自分が本当に人として面白くないとこうはならない。
運のパラメータも上がった先にある究極の形の一つだろう

定期的に旅を繰り返しこれらの目標が達成出来た時、俺は間違いなく王になっている
人を惹きつける力、コミュカ、人間力
全ての力を備えた究極の王に俺はなるのだ。

1日目(5/2)山口県山口市
仕事が終わって夕方ごろに福岡から出発した。
今年の旅は目指すは石川県の能登だ。

とりあえず車を走らせ、山口市の繁華街に入った。山口市は繁華街のイメージが全くなかったが、それもそのはず、小さな繁華街だった。
しかしGWという事もあってか、田舎にしては割と人はいる。とりあえず適当な居酒屋に入った。ここで言う適当とは、適したという意味だ。割と静かで、安くはなく高くもなく、地元の味が味わえるお店だ。
まあまあ美味しかった。が、あまり印象には残っていない。しばらくしたら忘れるだろう。

店を出てすぐの所に女の子が立っていた。
話を聞くと近くのガールズバーの人らしい。
俺は迷わず案内を頼んだ。
旅先で行くガールズバーは良い。
これは持論だが、ガールズバーはその土地の空気感を味わえる手取りやすい場所だと思っている。しかも安い。
地元に住む若い人の地元に対する率直な気持ち。何を考えて生きているのか。そういう心の中を垣間見る事ができる。

その子は22歳のフリーターだった。
何もしてこなかったこれまでの半生を悔い、これから何か一歩踏み出したい気持ちと、自己肯定感の低さ故に怖くて行動できない自分で葛藤している若者だった。
地元の山口を離れて福岡のコンカフェで働くか迷っているらしい。
俺は迷うなら行けと勧めた。若さ故の自由は有限だからだ。
彼女はかなり見た目が良かった。そしてかなり発達感が強かった。その感じは多分オタクにウケる。
彼女が何を感じたかはわからない。
もし縁があって福岡で会えたら嬉しい。
名前は…忘れた。なんだったっけな。
そういえば名刺をもらったっけか。

店を出て歩いていると弾き語りをしている男性が居た。backnumberの何とかって曲を歌っていた。すぐに近くに行き、曲が終わると同時に話しかけた。
見た感じ多分年上だった。30代半ば〜後半くらいだろうか。
夢を追っているのかと聞くと、そう言うわけではないらしい。働きつつ、ちょくちょく弾き語りしているらしい。別にどうなりたいと言うわけではなく、単純に好きだと。
色んな話はくるが、全て面倒だから断っているらしい。上を目指す俺としては不思議な人だ。
俺との会話も終始興味なさげで、本当に歌が好きなだけなんだなと思った。

少し歩くと今度はアコーディオン奏者が居た。
45歳のおじさんだ。10年以上全く同じポジションで路上演奏しているらしい。地元では有名人で、テレビなどのメディアにもたまに出ているのだと。
さっきの弾き語りの人もそうだが、この人も好きでやっているらしい。一応アコーディオンで食えてはいるみたいだが、話を聞く限りやはり上を目指す気持ちはなさそう。
さらに2人ともSNSをやっていないらしい。
マーケティングとかどうでもいいんだろう。
幸福度が高そうだと思った。
アコーディオンのおじさんが俺1人のためだけにフルコーラスで2曲も歌ってくれた。
どうしたらいいかわからなかった。

そう言えばだが、ここは温泉地でもあるのだ。
湯沢温泉という。故に地図を見ると足湯が何箇所かあった。せっかくだし入っていくかと思い足を進めた。
しかし残念な事にお湯は入っておらず、若者達が缶チューハイ片手にたむろしていた。
「ここってお湯入ってないんすか?」
そう聞くと、どうやら22時には終わってしまうらしい。残念だ。
ついでにちょっと若者達と話をした。
すぐ近くの大学に通う子らで、みんなバイト先が同じ近くの居酒屋らしい。
19〜22歳までの男女5人組だった。
自称旅の者の怪しいデブである俺とニコニコ話をしてくれた。良い子たちだ。
本当にくだらない雑談を15分くらいしただけなので、ここに書き記すような事は何もない。
いや、本当はもっと深い話を聞きたかったが、そこは俺のコミュ力不足だ。単純に間がもたなかった。そういうこともある。

2日目(5/3) 島根県出雲市
お昼前から出雲大社に行った。
よくわからんが、有名なデカい神社だ。
参道に入ると確かにこれは広い。沢山の人が居て、出店も沢山あった。常設のお土産屋さんやレストランもかなりあり、ザ・観光地といった空気感だった。
とりあえず歩いて中に向かう。そう言えばしめ縄が日本一デカいと聞いた事があったが、いざ見ると大した事なかった。

が、後で調べたら残念ながら写真のものではないらしい。日本一の大きさを誇るしめ縄はとてもわかりにくい位置にあるらしい。
全て回り終わって車の中で調べて発覚したので、もういいやと思って見に行かなかった。

そういえばおみくじを引いた。旅の運勢は…

「よい」って・・・笑 
もっとこう…あるだろう!
なんとも雑な神である

参道を戻りつつお店を巡った。俺は食べ歩きが大好きだ。抹茶のパイシュークリーム、ナントカプリン、島根牛のライスバーガー、のどぐろ丼を食べた。どれも普通だった。まあこんなもんか。

帰りにアクセサリーショップに寄った。勾玉とか、パワーストーンとか、そういう石系のアクセサリーを取り扱っているお店だ。
そのお店にある銀色の勾玉に惹かれて購入。
ちょうど数日前にネックレスにしたくて買っていたどんぐりの木工品のキーホルダーもネックレスにしてもらった。
余談だが店員さんがメガネの似合う可憐な美女だった。さながら図書委員のような雰囲気。
端的に言えばタイプだったのだ。バリ可愛い。
か細く小さな声に耳を傾けて話を聞くと、地元の人らしい。
俺も男だ。連絡先を聞きたい気持ちがほんのりと湧いてくる。しかしそれは多分ナンパなので、今回はルール違反だ。ぐっと堪える事にしよう。
別に誰も見ちゃいないし、自分で勝手に決めたルールなので守る必要も無いのだが、それでも守る。そのストイックさが、俺の良い所なのだろう。

夜は福井市内に飲みに行った。
あんまり楽しめなかった。
こういう時、何か起こさなければと思ってついつい深追いして何件も店をはしごしてしまいそうになる。今日もそうだ。
キャバクラに行き、ガールズバーにも行った。
結果金を使っただけだ。何の意味もない。
ただアフターは断った。損切りというやつだ。
もうこの街には何もないと判断した。
出会いの運が無かった。縁が繋がらなかった。
こういう事もある。
しかし田舎コンプレックスが強い街だった。
みんな口を揃えて福井を下げることしか言わない。俺はそんなに田舎とは思わんけどな。
でも理由がわかった。福井の人はみんな県外で遊ぶらしい。金沢、京都、大阪、名古屋。
車で行ける範囲に大きい都市がいくつもあるのだ。だから比較して田舎だと感じている。
実際に福井の人に指摘すると納得していた。
街の話もそうだが、なんか終始ネガティヴな話しかしなかった気がする。元気出してくれ。

3日目(5/4) 福井県福井市
昨日飲みすぎた。楽しめないとつい酒を飲み過ぎてしまう事に気付いた。
ホテルもネカフェも満室だったから車中泊になってしまった。頭も体も痛い。最悪のコンディションだ。
それはそうと、わかった事が一つある。
なぜ福井がつまらなかったのかという理由だ。
それは「街にキャッチ男しかいない」からだ。
繁華街を歩いていてもキャッチしかいない。
あとはまぁ、見送っているどこぞのキャストか、帰ってるおじさんとか。
要するに若者が街を歩いていないのだ。
そりゃあ展開が起こりようがない。
何も福井に限った話ではない。
大きめの繁華街はいつもこうなる。
俺がもし街を作るならキャッチの数は制限しようと思った。街全体がつまらなくなる。

その後、能登地震の中心地、輪島市に行った。
道中の道はもうガタガタで、地震の爪痕は想像を絶する物だった。
輪島市に到着してからはいろんな事があった。
まずはベタに最も被害が大きかった輪島朝市に行った。ここはもともと街の歓楽街とも言える場所であり、観光で来た人に対して土産屋が連なる商店街であり、街の人にとってはお酒を飲みにスナックに行く場所であり、地元の人も、外の人も、そこに立ち寄るのだ。
しかし、そんな地域が全て焼け野原となっていた。輪島市の経済は止まっていた。

正直写真では伝えきれない。
もっともっと酷いと思ってくれていい

少し離れた場所もどこもめちゃくちゃだ。
建物が倒壊し、半年近く経った今もほとんどそのままの状態だった。
「輪島は国に見捨てられている。動いちゃくれやしない」
街の人は皆、口を揃えてそう語っていた。

近くに道の駅があった。
そこは営業していた。
ゴーゴーカレーがあって、バーがあって、土産屋が少しある。
元々コインパーキングだったところは全て仮設住宅になっていた。
とりあえずバーに入った。

地元のイケおじが経営する小さなバー。
営業を再会したのはほんの一ヶ月ほど前の事だそう。それまでは家が倒壊して帰る場所が無い人達を寝泊まりさせていたらしい。更に震災直後は「お酒を飲んで楽しむなんて」という空気感が強く、そういう意味でもとても営業出来る状況では無かったらしい。
しかし、数ヶ月経って、寝泊まりしていた人たちも仮設住宅に行き、街の空気も楽しい事をしたい、明るくしたいという気持ちが少しずつ出てきたようで、様子を見ながら再会したとの事。ちょうどその日はそのマスター主催でBBQが行われており、マスターの知り合いなどの地元の人たちが集まっていて、ありがたい事に俺も混ぜてもらった。

ここでの時間は本当に楽しかった。
10人はいただろうか。みんな歳が近くてすぐに意気投合し、福岡県民の俺を受け入れてくれた。皆それぞれに震災の影響を受けていて、家が倒壊して仮設住宅にいる人も何人もいた。
けれどみんな本当に明るくて、楽しそうにしていて、震災なんて本当にあったのかと思ってしまうほどだった。でも話を聞いていると、やはりその笑顔の奥には沢山のものを抱えている事が垣間見えた。
輪島に行く前は「能登の人たちの助けになりたいな」という気持ちだったが
「1人の友人としてみんなを助けたい」という気持ちに変化した。
それくらいみんないい人たちだった。

倒壊した建物の前でみんなで笑顔でピース✌️という異様な写真があるが、冷やかしなどでは無くちゃんと意味がある。この建物は一緒に写っている人たちの友人の家らしく、倒壊した建物の真ん中にポツンとサンタクロースが立っている。
倒壊した家の中で奇跡的に自立している季節外れのサンタクロースが彼らにとって面白い存在らしく、ちょっとした観光スポットにしているとのこと。

彼らにとっては今はこのサンタですらエンタメと化すのだと感じた。本当に日常の楽しさに飢えているのかもしれない。何とも言えない気持ちになったのが本音だ。
そのほかにも、半年が経とうとしている今でも倒壊した建物の撤去がほとんど進んでいない中で「まぁ俺は?選ばれた者だから実家は更地になっているけどねw」というイキリジョークも飛んでいた。笑っていいのかわからないが、ずる〜い!とか言いながらみんな笑っていた。
あまりにパンチ力の強いブラックジョークだ。
背負っているものがデカすぎる。
ぶっちゃけ俺はそういうジョークは好みなので、笑ってしまったけどね。


そんな輪島の人達に「外にいる俺たちが今できる事は何か?」という質問をした。
1番はやはり輪島に来てお金を落とす事だろうが、それはなかなかできることではないだろう。
するとこう返ってきた。
まず今の輪島の現状を伝えて欲しい。
国が動いてくれないから、見捨てられているから、とにかくメディアで発信して欲しい。
という事だった。
輪島の人曰く、輪島はまだマシらしい。
となりの珠洲市と言うところは、仮設住宅がまだ1箇所にしかないのだと。
更にまだ水道すら通っていないらしいのだ。
全く復興が進む気配が無く、輪島以上に国から見捨てられているのだと語っていた。
確かに俺はその現状はあまり知らなかった。
水は本当に困る。俺もこれまでに水が止まって使えない事があったが、水が無ければ本当に何も出来ないと実感する。

「へずまりゅう」という人物をご存知だろうか。
彼はその昔、YouTubeをはじめとしたSNSで活動し、炎上商法と言われる手法で名を馳せた、いわゆる迷惑系YouTuberの始祖とも言える人物だ。数々の迷惑動画を投稿し、最後には逮捕された経歴がある。世間から大バッシングを受け、一時は身を潜めた。
そんな彼は今、TikTokで活動している。
輪島市でボランティア活動をし、その様子を毎日配信しているのだ。俺もTikTokで何度も見かけた事がある。
世間からの彼への声はまだまだ辛辣だ。
彼の過去を考えれば当然と言えば当然である。
コメント欄を見れば、偽善だなんだという声も少なくは無い。
しかし、そんなへずまりゅう氏に輪島市の人々は心から感謝していた。
能登地震に関するメディアの放送が減っていく中、発信し続けてくれる彼に輪島市の人々は救われていたのだ。
ひろゆきという愛称でおなじみの「西村博之」氏にも感謝をしていた。彼もまた、輪島に訪れ、その様子がネット番組で放送された。
俺ももちろん見た。とても参考になった。
現状を知れたのだ。

今俺に出来る事は何か、まだ思いつかないけれど、これから考えていきたいし、出来る選択肢が多くあれるよう、これからも上を目指していきたい。
輪島の人達に笑顔を届けられるような人間になりたい。心からそう思った。

その後金沢に行き、夜の街へ。
とあるバーに入ったのだが、そこでたまたま隣の席の人がたまたま一人旅している人だった。
帯広出身で、館林に住む27歳高学歴な若者。
一人旅するだけあり、どこか似た思考回路の持ち主で、意気投合した。
その後に入ってきた人たちとも意気投合し、ドンチャン騒ぎして盛り上がった。
一人旅の彼とはガルバ→締めのラーメンまで一緒に行き、偶然の再会を誓い別れた。
特に深い話をした訳ではないのだけれど、ただただ楽しい時間を過ごし、思い出になった。

しかし、金沢で飲んでみて思った事がある。
それは「みんなあんまり震災の事気にしてないな」という事だ。
俺の話をするとどうしても輪島に行った話は外せないので、やはり震災関連の話にはなる。
がしかし、みんな思いの外関心を寄せてはいないと感じた。もちろん寄せていない訳ではないのだけれど、どこか「自分たちには関係ない」感が正直あった。なに、別にそれを批判したいという訳ではない。
ただ、県内の人ですらそんな感じなんだなと思ったのは本音で、だからこそ、やはりもっと色んな人に現状を伝えなければと感じた。

4日目(5/5) 石川県金沢市
9時半起床。ホテルを10時に出た。
繁華街の近くにあるホテルなのにチェックアウトの時間が早すぎる。昼過ぎにしてくれと心の底から思う。
まだ酒が残っている感覚のまま、予定していた21世紀美術館と兼六園に行った。
21世紀美術館の方だが、震災の影響でメインの部分が見られなかった。こんな所にも影響は出ているのだ。兼六園はまあ、デカい綺麗な庭だった。二日酔いで行く場所ではない。さっさと後にした。

前日飲んだ時に、金沢市民のみんなにオススメのご飯を聞いていた。その名もまいもん寿司
石川県民がこよなく愛する、北陸の美味い魚が味わえるお寿司屋さんだ。
行って受付するとなんと2時間待ち。
とてつもない人気で、本当に地元の人たちに愛されているのだなと感じた。
俺は2時間の間、コインランドリーで服を洗濯しながら二日酔いで疲れた体を休めた。
コンディションを整えて食う北陸の寿司は格別だった。確かにうまい。

体重3桁のデブがお腹いっぱい食べて7000円ほど。高いか安いかは人それぞれだが、この味なら俺はアリだ。

その後の予定は浮かばなかった。
とりあえず車を九州方面へと走らせながら、どこに行くか考えた。
大阪、姫路、岡山、福山。この辺りが候補だ。
次の日の渋滞などを考えて大阪はパス。
まあその後も色々考えた結果、福山を選択した。

そして福山に飲みに行ったのだが…
とにかく人がいなかった。街が死んでいた。
そもそも福山市の繁華街の構造の問題もある。
人口の割にめちゃくちゃ広いのだ。
駅前からアーケード街があるのだが、その辺りに居酒屋などがある。そこは比較的人がいた。
あくまで"比較的"だ。決して多くはない。
そしてそこから、キャバクラなどが連なる場所までタクシーで2メーターくらいの距離がある。その間ずっとスナックやバーがある。とにかく広い。でも人は少ない。一点に集まりにくい。そんな感じだ。
しかし特にこの日は少なかった。そこら中にいるキャッチやボーイの兄ちゃん達も頭を抱えていた。だって客候補の一般人よりキャッチの方が道に多いんだもん。キャッチ5に対し客1くらい。取り合いだ。

そしてぶっちゃけ高い。
街全体が謎に強気な価格設定なのだ。
例えば福井市で飲んだ時、キャッチは「この辺はちょっと強気な価格で…ガルバ1セット4000円なんすよ…」と言っていた。確かに強気だと感じだ。

俺の感覚ではガールズバーは1セット5〜60分で3〜4000円なのだが、ここ福山市では5000円。
中洲より高い。キャバクラもそうだ。感覚1000円くらい高い。

キャッチの兄ちゃん曰くだが、福山市は元々はもっと栄えていた繁華街だったらしい。
しかし、一斉摘発されて店は激減。
強気な価格設定のみが残っているのだと。

何やかんやのキャッチを受け続け、まあ折角だしとキャバクラに入った。とにかく女の子には自信があるのだと豪語するので、どんなもんかと行ってみたのだ。

着いた女の子は確かに可愛かった。
24歳、見た目の良い女の子だ。
が、それだけだった。別に楽しくはない。
そもそも俺のテンションの問題もあったのだろう。あまりの人の少なさに心が冷え切っていた。

もう1人別の子と話をしたのだが、その子は岡山市の人だった。
話は変わるが、俺は去年にも一人旅に行った。
その時、島根県の松江市という所で酒を飲んだ。ざっくり言えば松江は岡山の上だ。
その時松江生まれ松江育ちの人が「岡山の人は性格が悪い!」と言っていたのが印象的だったのだ。土地特有の偏見があるんだなと思った。
じゃあ逆に岡山の人はどう思っているのか、俺は気になっていたのだ。ずっと。
そしてついに岡山の人と話す機会に恵まれた。
これはチャンスだ。失礼を承知で聞いてみた。
「まあ確かに岡山の人は性格悪いと思う笑」
認めた…!すごい。あの偏見は事実だったのか!俺は感動した。

その後店を出て歩くと、またキャッチに声をかけられた。
「オッパブどうですか?」
うーん、あんまり気分じゃない。端的に言えばムラムラしていない。
「6000円です…」
やっす!?さっきのキャバクラより安いぞ。
逆に興味が湧いた。どんなひどい店なのかと。
俺は迷わず行くことにした。
結論として、このお店は楽しかった。
それなりに可愛らしい人が付いてくれて、楽しい時間を過ごせた。
オッパイは柔らかかったが、それはほどほどに、俺は福山市在住30代半ば独身女性と語るその人のリアルに興味が湧いた。
仕事はここがメイン、彼氏は数年いない。別に欲しくもない。デートしたのは3年前が最後。休みの日はずっと家にいる。結婚願望はない。面白い人がタイプ。
そんな感じだった。なんとも令和という感じだ。自分の人生に消極的だなぁと正直思った。
「俺とは正反対な人だな」なんて考えながらまた揉んだオッパイは、さっきよりほんの少しだけ冷たくて、硬く感じた。

5日目(5月6日) 広島県福山市
朝起きてそのまま福岡に向かった。
途中広島市でお好み焼きを食べた。
電光石火というお店。うまかった

その後帰宅。
この旅は終わった。

6日目(5月7日) 福岡県
さいごに、この旅の感想を書いていく。
最も大きく印象に残っているのはやっぱり輪島市での一日だ。震災直後の現地の人の生の声をたくさん聞けたあの時間は、間違いなく俺の人生において沢山のものをもたらす事になるだろう。普通、したくても出来ない経験が出来たと思っている。本当に貴重な時間だったし、心の底から楽しかった。
福岡に帰りながら、俺は思った。
輪島市でのあの日、俺は輪島の人達に何も出来なかったなと。自分の無力さを痛感した。
あの日輪島の人達は、楽しさを求めていると感じた。暗い雰囲気の街にいてもつまらない。
できる範囲で少しでも楽しくしたい!そんな気持ちを強く感じた。

俺はYouTubeで動画を配信する事を3年間やっている。登録者がそんなに多い訳ではないが、まあエンターテイナーと端くれと言えなくもない。3年間、自分なりにエンタメに真剣に向き合ってきた。そもそも人を楽しませることは大好きだ。
そんなエンタメをやってきた俺が、輪島の人達に楽しい気持ちを届けられたのだろうかと思った。出来なかったと思った。情けないと思った。とても、とても、悔しかった。
俺は地元じゃちょっとだけ面白いキャラだ。
たまに人に言ってもらえる事もある。
俺は面白いんだと、自信を持っている部分も無くはなかった。
でも全然ダメだった。
輪島の人達がどう感じたかはわからない。
けれど、俺自身は納得していない。
でもこれが今の俺だ。やれる事はやった。
後悔は無い。単純な俺の実力不足だ。

少し前から、俺はアートに興味を持っている。
俺は人に何かを伝える時、文字と言葉を使う。
だけど、世界には文字と言葉以外のツールで何かを伝える人がいる。それがアートだと思う。
絵、音、映像、立体物、その他諸々。
正直俺にはよくわからんものだ。
よくわからん女の人の絵が、謎にとんでもない金額で取引されるのだ。
俺には無価値のものが、誰かには何億円もの価値があるのだ。
そこに何かを感じ、価値を感じる人が沢山いるのだ。
俺はエンタメとして何かを届ける日々を送っている事もあり、とても興味が湧いた。
アートって何なんだ。よくわからんその絵に何を感じているんだ。それがわかるようになれば、俺も表現の幅が広がるかもしれない。
それから少しだけ学んだ。
少しだけ本も読んだ。
結果まだ何もわからない。
知り合いに美大院生の子がいるが、その子は何年も前からこういったことを学校で勉強している。その子なら何かヒントをくれるかもしれないと思い、色々と話を聞いてみたが、結論、その子も「よくわからん」と言っていた。何年も前から勉強してアートに携わってきた結果、よくわからんのだ。笑った。でもそういうものなのかもしれない。社会的な明確な答えは無く、人それぞれにあるのかもしれない。

長くなったが、要するに俺は表現の幅を広げて、エンタメに活かし、沢山の人に楽しいを届けたいのだ。輪島市に行ってその気持ちがより強くなった。
旅の初日の夜、俺は山口市で弾き語りをしている人に出会っている。俺はその人の事がずっと印象に残っている。
その日の日記にも書いていたが、その人はbacknumberの花束という曲を歌っていた。
その曲を聴いた街を歩く若者が、一緒に口ずさんだりしていたのだ。その人の歌は小さな繁華街に響き渡っていて、街全体を少しだけ明るい雰囲気にしていたのだ。
ここだけの話、俺はbacknumberがあまり好きではなかった。ナヨナヨした歌詞が受け付けなかったのだ。だけど、俺はその時からbacknumberの曲を少し聴くようになった。
旅の道中、運転しながら花束を何回も聴いたのだ。音楽というエンタメの虜になっていた。
いつしか俺の中で旅のテーマ曲になっていた。

音楽には大きな力がある。そう思った。
もし俺が輪島市であの時ギター片手に歌を歌えたら、輪島の人達に楽しいを与えられたかもしれない。そう思うようになった。

俺は俺にできるエンタメを探したい。
これからも楽しいを追求していきたい。
何が出来るのかまだわからないけれど、世の中に少しでも笑顔を増やして、幸せにしたい。
俺が目指す王の姿は、その先にある。

おわり

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