いちばんの心残りと、必ず叶えたい夢
今年の9月をもって、わたしは6年間弱務めた会社を離れる。
嬉しかったことや楽しかったこともあったが、悔しかったこと、辛かったことの方が数倍、数十倍多い、会社員人生であった。自身の実力不足によって、思ったようなパフォーマンスを発揮できずに、モヤモヤ過ごした時間は長かった。
それでも、人には恵まれていたと思う。魅力的な先輩、厳しく辛抱強く接してくれた上司、様々な人から、数知れない精神的、時間的コストをかけて育てて貰った。
なかでも、入社3年目のころ、Yさんという上司との出会いは大きい。20個以上うえの次長だったが、お世話になったことは、数知れない。
一直線に成長できなかったわたしに対して、いつも辛抱強く接してくれたYさん。組織内でなかなかうまく立ち回れずに、肩身が狭い思いをしていたときには「黄さん、そういえば最近、どんなアプリが流行っているの?」、「Uberってなに?」と、皆が知らないような、わたしの得意分野を、敢えて質問してくれた。なによりも、上目線ではなく、常にひとりの人間として、尊重する姿勢を示してくれた。
また、どんな小さい仕事を手伝っても、「当表は、黄さんがまとめてくれて~…」とひとこと書き添えて、少しでも組織内の評価が上がるようにと、工夫してくれた。
社内留学に応募する際も、自ら時間を割いて、申し込み書類の添削や面接練習を買って出てくれた。
「黄さん、縮こまらずに、じぶんのやりたいことに挑戦すればいい。自分の夢を追いかければいい。諦めるな。遠慮するな。」
そんな風に背中を推し続けてくれた。
失敗続きで、せんぱい、わたしこの会社でやっていけますかね、、と凹んでいたときは、
「当社で偉くなっていく人は、さまざまなタイプがあって、一概には言えない。でも、少なくとも黄さんは、すごく面白い人だと思っている」
と声を掛けてくれた。
それなのに。
わたしが、結果を出す前に、Yさんの異動が決まってしまった。そんなYさんの送別会で、わたしは皆の眼を憚らずに、泣きながら感謝の手紙を読んだ。
でも、わたしがやりたかったことは、そんなことじゃない。
結果をもって、恩返しをしたかった。
Yさんが異動したとしても、わたしが、社内で大きな成果を出せば、必ず風の噂で彼の耳に入るはず。そう思って、この1年間、なんとか大きな成果を出そうと、もがき続けた。
Yさんが異動してからは、敢えて、一度も連絡すらしていない。
でも、何か大きな挑戦をするときは、必ずYさんの顔がよぎった。社内ビジコンで最終審査まで残ったときも、優勝して、社報掲載されたわたしの名前を、Yさんが見つけてくれる光景をイメージした。
「いや~、昔コイツはダメダメでね~…」
「でもね、俺が育てたんだよ~。」
そんな風に、新橋のガード下で、酒の肴にされる存在になりたかった。鼻高々に自慢できる後輩になりたかった。先輩がわたしに費やしてくれた時間は無駄じゃなかったと、結果で証明したかった。わたしに懸けてくれた期待は間違いじゃなかったと、行動で示したかった。
それなのに。
社内ビジコンでは、最終の社長プレゼンであっけなく落ちた。社報にわたしの名前が載ることは、遂になかった。いや、3日前に、組織を離れる知らせが出るという形で、社報に出た。きっとYさんはそれを見て驚いたはずだ。そして、今頃、心配をしてくれているのだろう。
最高に喜んでもらえる知らせを届けようとして、
最後の最後まで、心配をかけるような知らせしか届けることが出来なかった。
所詮、わたしの実力は、この程度だった。
この不本意さ、情けなさ、悲しさ、悔しさを全てをもちこして、わたしは、次のステージに進むのだ。
次こそはぜったいに結果を出さなければいけない。大きな成功を掴まなければいけない。
例え時間が掛かったとしても。Yさんがわたしを忘れてしまったとしても、
絶対に絶対に、成功して、「先輩、わたし、先輩のおかげで、こんなことができたよ!」と、伝えなければいけない。
「皆から見放されても、わたしを信じて、面白がってくれて、応援して、期待してくれたYさんのおかげでここまで来れたよ!大正解だったね!」
と、伝えなければいけない。
そして、Yさんが人生レベルで何か困ったときに、今度はわたしが手を差し伸べられるような、頼りにされるような存在にならなければいけない。
恩返しをしなければ、死んでも死にきれない。
だから、わたしは、結果を出していく。
次のステージでは、必ず。
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9月から学生に戻るため、皆さんからいただいたサポートは生活費として、大切に使わせて頂きます。温かいご支援を、いつも本当にありがとうございます。これからも、有益な情報を提供できるよう頑張ります!
サポートいただけたら、スライディング土下座で、お礼を言いに行きますーーー!!!(涙)