美しさという光
久しぶりのNoteを書いている。
思いがままに、何かを書くことは、とても勇気がいることだ。
そこそこブロガーとして認識されたいま、思うがままに、どうしようもないコンテンツを出した時に、皆にがっかりされてしまうんじゃないかなという、恐怖心に苛まれる。
竹村さんのこのツイートを読んで、ハッとした。
こんな風に、失敗を恐れて縮こまっている、わたしはわたしらしくない。ミャンマーのヤンゴンに滞在している今、友人から「今月16日に、しくじり先生のイベントをやるから、こうみくに登壇してほしい!!!!こうみくほど、しくじり先生にピッタリな人選はいない!!」と依頼されるほどなので、もはや、堂々としくじりと失敗を繰り返して、経験に重みを、面の皮に厚みを持たせていこうじゃないか。
そう思い、筆を取った。
↑今週末、登壇予定のイベントはこちら
2018年は、ストレスとプレッシャーに押し潰されそうになった1年だった。
1月に、アフリカのベナンに遊びに行った時はストレスフリーのとてもいい顔をしていた。
しかし、仕事やプライベートの中で、自分にとって大きな挫折を味わっていくうちに、だいぶ老けた気がする・・・と、鏡を見るたびに憂鬱になっていた。上海に移住してからは、もはや、あまりにも憂鬱すぎて、鏡すら見れなくなっていた。
そして、寒い季節が苦手なことも手伝って、逃げるように、中国からミャンマーに疎開したのが2月1日。
そこから実に10日間ものあいだ、仕事を一切せずに、
4歳児と戯れ、
友人と飲み明かし、
イケメンと、LEGOに明け暮れた。
そこで撮った、様々な写真を見て、
「おぉお・・・・!!わたし、可愛い・・・!美女復活や!」
と、こうみくは、完全復活を確信したのである。(バカ)
昔から、わたしはレア度が高い美女・美男に出会うと、純粋に嬉しく、興奮を隠しきれなくなる。
それはもう、草原でミューツーに出会ったかのごとく(古い)、「とととととととと友達になってください!!!!」と、友情のモンスターボールを投げまくるのが常であった。
でも、その裏には、「わたしも美しくなりたい」、という深い憧れがある。美しい存在は、それだけで、周りを照らす光だ。何よりも、鏡に映る自分自身に対して、今日を笑顔で生きよう、と心を明るく照らす光だ。
そして、美しさは、ストレスやプレッシャー、気分の落ち込みといった様々な要素に簡単に吹き消されてしまう、とても儚い光でもある。
儚いから尊い。
反対に、ドキドキやワクワクといった感情があれば、いっそう、強く輝く光になる。
だから、心が躍る方向に、素直に身を任せて、生きていきたいと、改めて思いを強くしたよ。
サポートいただけたら、スライディング土下座で、お礼を言いに行きますーーー!!!(涙)