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助けを求めるのが遅すぎた

僕はどうも助けを求めるのが苦手で、自分の仕事を誰かに手伝ってもらうということが、なんとなく申し訳なくて出来ないと思ってしまう。

サラリーマン時代、うつ状態に陥った時もそうだった。
苦しくて苦しくて、体調もずっと悪かったうえにメンタルも最悪だったのに助けを求められなかった。

自分でやると一度は引き受けたんだから、最後まで自分の力でやらなければいけないと思い込んでいた。
途中で音を上げるのは格好悪いし、情けないし、そんなことは出来ないと。

自信がないから白旗を上げられなかった

当時の僕は、自分に対して自信がなかった。
だから、他人の目、他人からの評価がとても気になったのだ。

一度引き受けた仕事だから、途中で助けを求めるというのは、白旗を上げるようなものだと思い込んでいた。
そんなことをしたら、僕の評価が下がってしまうのではないか。
会社の人たちからの評価が下がってしまうのではないか。
そんなことが頭をよぎった。

他にできる人がいなかった

当時、僕が抱えていた仕事は、特殊な仕事だった。
誰にでもすぐにできる仕事ではなかったのだ。

できる人は限られていたし、僕以外の人たちも、みな忙しそうにしていた。だから余計に、僕は、助けを求められなかったのだ。

ただでさえできる人が限られていたのに、人事異動でその仕事ができる人が減らされていた上に会社を辞めた人もいて、本当にできる人が少なくなっていたのだ。

そんな事情もあって、僕が踏ん張らなければいけないと思っていたし、当然、周りの人たちもそう思っていたに違いない。

そういう社内の状況も最悪だった。
それが、助けを求められなかった原因だった。

耐えられなくなって助けを求めた

しかし、もう限界だと思った。
これ以上、この状態続いたら、本当に僕は倒れてしまうと思った。
もし倒れてしまったら、それこそ大変なことになる。

もうこれ以上は無理だ。
そうなった段階で、ようやく助けを求めることができた。

上司に相談して、僕の抱える案件を減らしてもらえるように交渉したのだ。

上司は僕の相談をきちんと受け止めてくれた。
そして、ほかの部署とも相談してくれて、入社一年目の若手を僕につけてくれるように手配してくれた。

それはとてもありがたいことだったけれども、僕の仕事は全く楽にはならなかった。
なぜなら、僕にはこの新入社員の教育をする必要があったからだ。

負担が増えてしまった

僕が抱えていた案件は特殊な仕事だったので、手伝ってくれることになった後輩にとっては初めての仕事だったのだ。

つまり、僕はこの彼に仕事を教えるという負担が発生したのだ。
その結果、僕はまったく楽にならなかったのだ。
楽にならないどころか、余計に負担が増すことになった。

もちろん、この後輩君に落ち度はない。
初めてやる仕事なんだから、誰かが教えなければいけないのは当たり前なのだ。

しかし、僕はもうギリギリの状態で、何とか楽にしてほしいという一心で助けを求めたのだけれど、まったく楽にならなかったのだ。

助けを求めるのが遅すぎた

結局、助けを求めるのが遅すぎたのだ。
何とか自分の力でやり切ろうと、助けを求めるのはみっともないと、そんなことを考えてギリギリまで粘った結果、助けを求めてもラクにならないという状態にまで悪化していたのだ。

今から考えれば、当たり前のことだと思うけれど、当時の僕には、そこまで気づくことができなかった。

助けを求められたからと言って、すぐに助けられるとは限らない。
助ける側の事情だってあるんだ。

もっと早い段階でSOSを出していれば、助ける側も準備ができただろうし、僕の方にももう少し余裕があったかもしれない。

この経験から学んだこと

この経験から学んだことは、ギリギリまで我慢してもよいことは何もないということ。

助けを求めることは悪い事でも、恥ずかしいことも出ない。
むしろ、意地を張って頑張りすぎて、健康を損なったり、取り返しのつかないことになる方が恥ずかしいことなんだということ。

助ける方の事情やキャパシティによっても、出来ることとできないことがあるということ。
そういうことも踏まえても、早いうちに助けを求めるということが大事なんだということだ。 

今でも、助けを求めるのが苦手という一面はあるが、できるだけ維持を張らないようにしようと気をつけている。

人間は助け合いながら生きていく動物なんだ。
助けてもらうこともまた、大切なことなんだと思う。

(つづく)


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!