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バボのキママな日 #82 『僕にはわからない。』

4月25日。14年前のこの日にJR福知山線で事故があった。僕は当時小学生で、その日の夕方に塾に行くために乗った阪急神戸線も周辺箇所で徐行運転をしていた。その際に報道のヘリコプターの音が聞こえたこともうっすら覚えている。500人以上が怪我をして100人以上の方が亡くなった。その大惨事の原因のうちの1つに日本社会が取り組むべき課題がある。少なくとも僕はそう思う。

https://www.youtube.com/watch?v=VnYxWBkganQ

National Geographic制作の検証番組を見た。動画の埋め込みがうまくできているといい。もちろん番組なので多少のバイアスはあるかと思う。それでも僕は日本社会に満映する過酷な勤務体系、社会が漠然と抱える重圧、過剰にも思える責任意識に疑問を抱かざるを得なかった。

一体なぜこのような空気感が蔓延ってしまったのか。ブラック企業と云う言葉を頻繁に耳にするようになって久しいが、一向に改善されている気配はない。働き方改革も結局は根本的な解決になっておらず、ただ上っ面の体裁を整えるためだけにしているように感じてしまう。

他人を蹴落としてまで得る権利になんの意味があるのだろうか。自己保身の為に人を咎める必要があるのだろうか。他人の痛みを感じられない人間が僕は信じられない。負の連鎖は断ち切らないといけない。自分が受けた痛みを次の世代には受け継がせないようにするべきではないのだろうか。それなのに何故延々と社会は不必要な痛みを引き継ぎ続けるのだろうか。

2度目の東京オリンピックや2度目の大阪万博を控え、国を挙げての国際化に取り組んでいる国とは思えない現状である。14年前の社会の歪みは一体どれほど改善されたのだろうか。過労死と云う言葉がKaroshiとして世界に知られてしまっている現状は恥ずべきことではないのだろうか。

僕にはわからない。何故日本がこのような現状になってしまったのか。何故このような状況を放置せざるを得なくなったのか。一体誰が得をして誰が損をしているのか。僕にはわからない。外から見る母国は、外から感じる母国は、外から懐かしむ母国は、僕が誇りたい母国と、僕が骨を埋めたい母国と、僕が愛する母国とは違うように思ってしまう時がある。僕にはわからない。本当の事が知りたい。あるべき姿があるのなら、正しさと云う尺度があるのなら、あるべき正しい姿を慈しみたい。

だから少なくとも僕は異国で自分自身を日本人として誇れるように生きる。

<バボ>




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