フットサル批評家ができるまで②

前回、自分の「眼」はサッカーで養われたということを書きました。何度も繰り返し同じ試合を観ることで、視野が広がったり、観るべきポイントを掴むことができるようになったということなのかと思っています。

さて、当時は「サッカー」は非常に流行でした。90年代前半から半ばにかけてはJリーグのチケットは完売で入手困難であったり、90年代後半はW杯初出場などもあり、「日本代表に歓喜する」現在の基盤が作られた時代だったのかと思います。

そんな中で、自分は周囲の誰よりもサッカーの情報を持つ状態になっていました。サッカー部員がサッカーをしている時間に自分はサッカー雑誌を読んだりサッカーの試合を観たりしているわけです。それは誰よりも詳しくなりますよね。

そして、1998年に自分は大学受験のため浪人して、予備校に通っていました。立場が立場だったので、リアルタイムではほとんどフランスW杯は観ることができませんでした。それでも予備校内ではW杯の話題で盛り上がっていました。そんな予備校生の中に「サッカー博士」的な人がいました。静岡県出身でサッカーに詳しいらしい。話(サッカー談義)をすると、サッカーそのものよりも、サッカー情報やサッカー史ばかり。例えば「〇〇選手は高校選手権の時から知っている」とか。そんなのどうでもええやん。当時からそう思っていました。

彼から、最近気になったことについて聞かれたので、その当時のさらに1年前である1997年のW杯予選の日韓戦の話をしました。

日本が逆転で敗北し、加茂監督が更迭された試合です。1-0で迎えた後半残り15分ほどだったか、FW呂比須を下げDF秋田を投入し5バックにした。これで中盤でのマークがズレて、残り10分を切ってから立て続けに失点し1-2で敗退した。

多くのメディアがこの采配(秋田の投入)を批判しました。これについて自分の意見を話しました。1-0で勝っていて、バランスは崩したくないがより安全にクローズさせたい。そういう方針であれば、ボランチが縦の関係(山口が攻撃的で名波が守備的)だったので、山口を少し後方に下げて守備的にした上で、FW呂比須OUTで1.5列目に動けるダイナモ的な森島を投入する。そうすると全体として重心は後方に落ち着きながらも、全体バランスは崩れずにゲームコントロールできると思ったわけです。そういうことを伝えると非常に驚かれました。

自分にとってサッカーを観る中で「展開の予測」など含まれるので、「こういう場面だったらこうした方が、、、」ということも考えていますし、そういうことを語り合うのが自分にとっての「サッカー談義」でした(サッカーの周辺情報に興味はありませんでした)。今思うと、当時から批評家だったんですね。これが今は「サッカー」から「フットサル」に変わっている、ということです。周辺情報は自然と入ってきますが、そういうものよりも「フットサルそのもの」をしっかり観る。それが重要だと思っています。

以上、おしまい。

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