フットサル批評家ができるまで①
フットサルの試合動画をたくさん観ています。フットサルを観る「眼」がどのように養われてきたのか、今に至るまでの過程を振り返ってみたいと思います。これが少しでもフットサルを理解したい人の一助になると思ったからです。
今ではサッカーを観ることはほとんどありませんが、自分も当初はサッカーを熱心に観ていました。1993年からジュビロ磐田を応援しはじめて、1994年にアメリカW杯にハマり、1996年にEUROで熱狂しました。
当時は今のように海外の動画がそれほど多くなかったので、テレビ東京系列で配信されたダイヤモンドサッカー(世界のサッカーのハイライトなど)やフジテレビ系列で配信されたセリエAダイジェストと、地方局である千葉テレビで毎週放送されていたアルゼンチンリーグ(なぜか毎週1試合放送されていた)を録画して、食事や空いている時間に観るという生活をしていました。末っ子だった自分がすべてチャンネル権を持っていたような感じで、次第に兄もサッカーに興味を持つようになったほどです。動画が限られていたので、同じものを繰り返し観ました。当然DVDではなくVHSだったのでテープが擦り切れるほど観たものもあります。この「繰り返し観る」ということが試合を客観的・俯瞰的に観ることができるようになるために重要なことだったと思います。
最初はボール周りしか見えていなかったものが、2回目に観る時には「相手がどのように守っていたからこのように攻めたのか」など守備側の動きが見えるようになったり、回数を重ねるごとに新たな発見があります。それを繰り返すうちに、自由に・自然に視点を変えて観ていくことができるようになったと思います。
このようにサッカーで「観る眼」を養ったからこそ、自然とフットサルを観る時にも自然と俯瞰的・客観的に観て、理解できていたのだと思います。
以上、おしまい。
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