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「何か打ち込めるものがない。物足りなさを感じていた中でフットサルに出会えた」「エフ・ドゥで(現役最後の)全日本を終えられて嬉しい」広島エフ・ドゥ⑯冨廣 洋平

※写真は1回戦広島エフ・ドゥ×バルドラール浦安セグンド戦のものです。

2022年3月13日(土)、岸和田市総合体育館(大阪府)で行われた、JFA 第27回全日本フットサル選手権大会の2回戦、広島エフ・ドゥ×シュライカー大阪戦後、広島エフ・ドゥの今季限りで引退を発表していた、広島エフ・ドゥ⑯冨廣 洋平インタビューです。

試合は開始わずか1分、⑲加藤 翼のゴールで先制したシュライカー大阪がゲームを支配する展開に。

11分にも⑲加藤 翼が決めて2-0とリードを広げたが、広島エフ・ドゥも、そのシュライカー大阪から移籍してきた㉑仁井 貴仁がキーパーの股下を抜くゴールで"意地"の一発。

しかし、シュライカー大阪は18分に⑱計盛 良太が決めて、再び2点差にリードを広げると、第2ピリオドの立ち上がりにも、⑱計盛 良太が2点目を決めて、4-1。

その後、懸命に広島エフ・ドゥも攻撃を重ねるが、追加点は奪えず。シュライカー大阪がベスト8、準々決勝へ勝ち上がりとなった。

https://youtu.be/RbRn-_go3yI

現役ラストマッチ。シュライカー大阪との対戦。『F1』と『F2』の差

―まず今日の試合、シュライカー大阪との試合でしたが、どうでしたか?やっぱり強かったですか?

冨廣 洋平選手「まぁそうですね・・・。

F1とF2の差というか・・・。

年間通して、強度の高い20何試合を戦っているのと、僕らは10何試合しかないので・・・というのもありますし・・・。

強度が全然違うところが、モロに出たかなと思います」

―個人的に、その中でも通じた部分とか、感じれたことは何かありますか?

冨廣 洋平選手「まぁいい形でボールが入れば、キープのところも、前で起点になれる場面もありましたけど・・・。

まあ・・・なんていうか・・・、それを継続していかないと・・・

一試合のゲームを通しても、シュライカー大阪のピヴォの2人はしっかり収まりますし。そういうところの差とかは、かなりあるかなと思います」


何度も何度も出場した"全日本選手権"の一番の思い出は?

―全日本選手権には、もう何度も何度も出場されてると思いますが・・・、何か思い出みたいな試合はありますか?

冨廣 洋平選手「思い出・・・。

それはまぁ、でも一番最初ですかね。

一番最初・・・本当に縁があって、(三宅)健司さんと出会って・・・。

エフ・ドゥでたまたまフットサル始めて・・・。

グリーンアリーナで、ロンドリーナとやったんですよね。

ロンドリーナと対戦して、『なんだこれ!?』と思って・・・」

―だいぶやられた感じですか?

冨廣 洋平選手「そうですね。

もう・・・もううますぎて。そこの衝撃がすごくて・・・。

『こんなん絶対勝てんやん』って思った思い出が一番・・・。

一番覚えてますね。全日本では」

―それはフットサルを始めてすぐぐらいですか?

冨廣 洋平選手「始めてすぐですね。一年目でですね」

―フットサルを始めたキッカケは?

冨廣 洋平選手「大学の先輩がたまたまエフ・ドゥに練習行っていて。

その時ちょうどエフ・ドゥの人数が少なくて、『誰かいないか?』っていう風に言われて。

僕ともう一人、高校の先輩も同じ大学いたので、それで誘われたのがキッカケですね」

「物足りなさを感じていた中で、フットサルに出会えた」

―フットサルにはまったタイミングは?

冨廣 洋平選手「はまったタイミングはもう一発目で。

一発目が福岡の『RD』というフットサル場で、民間の大会で・・・。

全国大会があったんですよ。

そう、フルキャスト!

フルキャストの大会の予選で、そこでフットサルやってみたら、点もたくさん決めることができて、『何これめっちゃ面白いやん!」って思って・・・。

プラス、大学時代が・・・、医療系の大学でサッカーサークルだったので・・・。

もともとサッカーはずっと、高校までガチンコでやってた中で、何か打ち込めるものがないな・・・。

と、物足りなさを感じていた中でフットサルに出会って。

一発目でそういう大会で活躍ができて。そこではまった感じですね。もう一瞬で・・・」


「最後はこのチームでという想いがあった」「エフ・ドゥで最後の選手権を終えられて嬉しい」

―F1でも活躍されましたけど・・・、選手権の最後、広島エフ・ドゥで終えられたことについては、どうですか?

冨廣 洋平選手「いや・・・もう最後のチームはこのチームって・・・。

広島出身ですし・・・。

僕は広島で、エフ・ドゥで始めて・・・。

やっぱり最初の所属のチームっていうのは、思い出深いというか・・・

僕の中で思い入れが強いので。

ここで終われて良かったなと思います」


広島で「フットサルをやりたい」子どもたちがフットサルができる場所をつくっていきたい

―この後は何をするか決まっていますか?

冨廣 洋平選手「この後は、いま村上(監督)の方がやってるスクールをやりながら・・・。

やっぱり『フットサル』というのが知られてないので。なかなか広島では・・・。

サッカーもサッカーだけというか・・・。

中には『フットサルをやりたい』という子たちも、僕らがスクール始めてから出てきてますし。

そういう育成年代の普及じゃないですけど。フットサルをやれる場所を作って行かないといけと言う・・・。

そちらに力を入れていきたいです」

―なるほど。では、まだフットサル人生は続くわけですね?(笑)

冨廣 洋平選手「続きます(笑)」


どこかでボールを蹴る可能性は?

―選手は一旦お疲れさまですか?少しどこかで蹴ったりとかは?

冨廣 洋平選手「まぁどっかで蹴る・・・。今のところ何も考えてないです。いまのところは・・・。一旦・・・。

家族も子どもも居て、奥さんに結構負担かけてるので」


インタビュー・文=北谷 仁治
写真=勝又 寛晃

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