消えない違和感、慣れてしまいそうな自分
不登校で悩む家族、子どもたちのカウンセリングをしてきて10年、ずっと消えない違和感を抱えている。
「うちの子、カウンセリング受けたくないみたいなんです。
『ボクはそういう人と違うから!』って。
学校のカウンセリングもあるんですけど、
(カウンセリングルームに)入るところ見られるのが嫌みたいで…。」
と親御さんは言う。
私も、
「〇〇くんはカウンセリングを受けたくないんですね。
お子さんとの面談は無理に行うものでもありませんので大丈夫ですよ。」
と応じる。
いつものように、その家族の「今」に合わせて、できる支援の形を模索する。
「そういう人」
こうした言葉はカウンセリングを始めたころから幾度となく聞いてきた。
そこに疑問を感じない方が、
すっと受け入れてその家族のことを考えた方が、
支援はスムーズに進めることができる。
でも、本日最後のご家族を見送り、ふと今日を振り返る。
「そういう人」ってなんだろう?
言わんとすることはわかる。
それと同時に「本当はそうじゃないのにな」と悲しさも感じる。
心が苦しいのに、その心の助けを求めることすら、まだまだ遠い。
それどころか、その子にとっては助けではなく、さらなる苦痛のように感じている。
周りが近づけようとすればするほど、私が近づこうとすればするほど、その子は苦しんでしまう。
こんな気持ちを、その子は一体いつ知ったのだろう、と考える。
「もっと、カウンセリングが身近になったらいいのにな。」
そうした思いを抱えながら、そして答えが出ないこの問いを今日もそっと横に起きながら、1日が終わる。
「さて、明日も頑張ろう。」
今を生きる、人たちのために。