不登校になると突き当たる壁
不登校になると突き当たる壁
~子どもが不登校になって不安でいっぱいの保護者へ~
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◇欠席連絡はボディーブロー
親子で毎朝「行く・行かない」のやり取りをし、親が学校に「すみません、休みます」と連絡することの精神的負荷はとても大きいです。子どもにとっては毎日「今日も行けなかった」「親や先生の期待に応えられなかった」という挫折体験を繰り返すということでもあり、親子をじわじわと追い込んでいきます。学校とよく相談して、「行ける時だけ連絡する」という方法が現実的です。
◇子どもの「明日は学校に行く」の意味
子どもが「明日は/来週は/新学期からは学校に行く」「テストだけは受ける」などと言っていて、その日になってみると結局行けないというのは、よくあることです。本人も行きたいし、周囲の大人の期待に応えたい、でもどうしても行けない……その結果、自己否定につながる負の経験を重ねることになります。本人が「行かない/やらない」という選択肢をしっかり保障された上での(=安心して選択した上での)「行く/やる」であれば、実行できることも多いのですが、「行く」といえば一次的に親の気持ちが収まるので、束の間、親の圧力から逃れられるために、「行く」と言ってしまうこともよくあります。
◇早期支援の正体は?
「不登校は早期支援が必要」と言われると、親はとても焦りますが、具体的に何をすることなのかは、わかりにくいです。有効な支援があるとしたら、それは学校と子どもの間に起こっているズレを修正し、子どもが安心して登校できるように環境側を調整することです。子どもにとっては、すでに限界を超えているから登校できなくなっているのですから、「本格的に不登校にならないうちに早く学校に戻す」という発想で子どもに働きかけることは、早期支援ではありません。
◇わがまま?甘やかし?の迷宮
「学校に行かせない」「当たり前のこともやらせない」「甘やかしているから」「子どものわがままをゆるしていいのか」……親は、「世間」からの声に責められている気がして、迷いに迷います。(なぜそれがわがままや甘やかしではないのかを説明すると長くなるので割愛しますが)とりあえず応急処置として、子どもの様子をそういう風にしかとらえない人との距離はとった方がいいと思います。その対応にエネルギーを割いて親が疲弊してしまうのは、避けた方がいいです。
◇「早寝早起き朝ごはん」の呪縛
昼夜逆転には意味があります。不登校の子にとって、学校に行かなければいけないと思っている子ほど、心を守るために自然に朝は起きられなくなります。それは必要な反応です。心が回復していない状態で、生活のリズムだけを整えようとするのは無理があるのです。子どもが元気になって、強い不安がなくなり、なにかをやる意欲が出たら、いずれ生活のリズムは整ってきます。
◇スマホ・ゲーム依存の恐怖
大きな不安や罪悪感を抱えた子が、命に関わる自己否定に陥らないよう、スマホ・ゲームやSNSの世界に逃げることで無意識に心を守っている状態です。ほとんどの不登校の子が通る道でもあります。ゲームしかできない時期は、不安と恐怖に襲われている状況であるということの現れなのです。依存性や健康被害等が心配な気持ちはよくわかりますが、親がスマホやゲームを取り上げたり、一方的な規制をかけたりしても、子どもが能動的な活動をはじめるということはありません。むしろ逃げ場を失った本人の状態は悪化します。
◇不安ビジネスがやってくる
子どもが不登校になって不安でいっぱいの保護者に、「今手立てをうたないと将来ひきこもりになる」とか「見守るだけじゃダメ」とか「親が変れば子どもも変わる、やり方教えます」とか「3週間で不登校を解決する」とか言ってくるのは、弱みにつけこんだ不安ビジネスです。多額のお金を払っても、中身は短期的には効果があるように見えて、しかしその後悪化するパターンか、お金を払うほどのことでもない当たり前のことを言っているだけ、という場合が多いです。不登校支援に魔法の言葉や魔法のメゾットはありません。
◇「当たり前のこと」ができなくなること
不登校になると学校に行けないだけではなくて、生活の様々なことが出来なくなります。勉強や習い事はもちろん、人と関わること、外出、お風呂、歯磨き、食事、着替え、睡眠、病院や散髪にいくこと、本人が好きでやっていたことまで、何もできなくなってしまうことは珍しくありません。個人差は大きいですがよく言われる「当たり前のことを当たり前に」は当たり前ではないのです(親はそんなわが子を見てとても心配になりますが、「命より大切な歯磨き」はありません)。まわりの大人がことさらにそのことを問題視しなくなると、本人が元気になっていく=いわゆる「当たり前の生活」に戻っていくものです。
◇「多様な学び」のジレンマ
近年フリースクール等の多様な学びの場や、オンラインなどの多様な学びの方法が増えており、学校が無理なら別の方法で学びの保障を…という考え方が主流となってきています。学びの選択肢が多様にあることは大切です。しかし、多くの不登校の子は、たとえ良い場所や学びの方法があったとしても、不登校になってからではとても参加できるような状態ではないのです。「不登校対策=多様な学び」という発想は、実は現実的ではありません。むしろ情報だけあふれ、どの学びの場にもたどりつけないでいる我が子を見て、親は更に追い詰められることになってしまうことも多いのです。子どもにまず必要なのは、安心できる場所で、傷を癒す時間です。
©木本晃子/川越不登校親の会